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ドリー・ファンク・ジュニア、最愛の弟テリーと1983年のプロレス界を語る

全日マット日本人枠では鶴田&天龍が成長真っ盛り

伝家の宝刀・スピニング・トーホールドで、世界最強タッグなど数々のタイトルを獲得するも、長年の酷使により膝は壊れ、サポーターは欠かせない状況だった(Photo by 山内猛)

──この当時のジャンボ鶴田さんについてはどういう印象でしたか? ドリー:私はジャンボのコーチであり、彼の友人であることをとても誇りに思っている。彼が短いキャリアの中で成し遂げたことをとても誇りに思っているよ。私はジャンボ鶴田を常に友人として、そしてプロレスの最高の教え子として愛しているんだ。だからどの時期にしろ、彼のことを論評するというのは難しいな(笑)。一つ言えるのは、彼のプロレス・キャリアは残念ながら長くなかったし、不本意な形で突然終えることになってしまったが、彼は常に最高のパフォーマンスを見せていたと思う。そのことは、何より日本のファンがよく分かっているんじゃないかな? ──天龍源一郎さんはどうでしょう? 彼が本当にブレイクするのは翌年以降のことですが、1983年には鶴田さんとのタッグが正式に始まり、可能性が開けた年でした。 ドリー:私は天龍がリング上で見せるプロレス技が大好きだった。確かに、彼は相撲の世界からやってきてプロレスに順応するのに少し時間がかかった。だがそれだけに、他のレスラーとは明らかに違う、彼にしかできない世界を見せていたよね。リング上の佇まいや彼が醸し出すムードのようなものも含めて、彼には独特の世界があった。私は彼の功績をとても誇りに思っているよ。 ──鶴田&天龍組にはどんな可能性を感じましたか? ドリー:技術レベルでは、ファンクスに匹敵するものがあったと思うよ。私たちには兄弟という強い絆があって、それがチームとしての私たちをより強大なものにしていたが、当時の彼らには若さと勢い、新しい時代に向かって進んでいこうという意志があった。彼らは実際に全日本を引っ張る日本人チームになったが、後には敵味方に分かれて激しくぶつかり合った。組んでいても戦っていても、何より全日本プロレスの発展を第一に考えていたことがよく伝わってきたよ。

1983年、ドリーが感じたプロレス界の変化

──一方で1983年頃というのは、新日本プロレスが大ブームを迎えていた頃でした。当時、新日本の状況についてはどのような印象を持っていましたか? ドリー:この時期はプロレス界の歴史の中でも最もエキサイティングな時代であり、日本でその時代に参加できたことは、私にとってとても光栄なことだったね。私は常に新日本プロレスを尊敬しており、全日本、新日本両団体のリーダーであるジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんのことも尊敬していたよ。この当時、新日本の戦いが大きな人気を得ていたということは聞いていたし、全日本の選手たちは少なからず意識もしていたと思う。だが、新日本には新日本のやり方があり、全日本には全日本のやり方があった。全日本のリングで戦うこと自体、いつも努力を要したから、結局はみんな目の前の自分の戦いに集中していたんだと思うよ。 ──またこの1983年初頭、全日本ではザ・グレート・カブキが凱旋し、日本で大ブームを巻き起こしました。ペイント、毒霧など、彼のスタイルはドリーさんのものとは大きく異なりましたが、どう思っていましたか? ドリー:カブキは最高のスターであり、興行マジックであり、プロレスの世界で成功したザ・グレート・カブキを私は尊敬しているよ。プロレスはビジネスとしてもスポーツとしても、本当に競争の激しいビジネスなんだが、カブキはその両方に秀でていた。確かに彼はあのペイントや不気味な風貌、毒霧やヌンチャクといったアイテムで人気を博したが、特に日本で人気を得たというのは、ファンが彼のしっかりとした実力を見抜いていたからだと思う。カブキが成功した後、彼のスタイルを模倣したり、一部分をマネしたレスラーがたくさん出てきたが、中には表面的なものしか見ていなくて力が伴わない者も多かった。特に日本のファンは目が肥えているから、そんなレスラーは一目で見抜いてしまうだろう。カブキは最初、アメリカで人気を得たが、そこには物珍しさも一定の割合であったと思う。でも日本では目新しさだけで勝負することはできない。ペイントや毒霧は確かに私やテリーさんのスタイルとは異なるが、その裏側にあるレスリングの技術という点では通じるものがあったと思う。 ──ところで、テリーさんとは最近、会ったり連絡を取ったりしていますか? 最近はお見かけする機会が減ってしまいましたが、テリーさんはお元気なのでしょうか? ドリー:テリー“さん”とは連絡を取り合っているし、よく話をしているよ。今は健康に、そしてマイペースに日々を送っているよ。今でも彼が最愛の弟だということは少しも変わらないし、私はいつも彼の健康を祈っている。 ──日本のファンもあなたにまた会いたいと願っています。日本のファンにメッセージをお願いします。 ドリー:日本のプロレスファンの皆様、あなたの温かいご支援、誠にありがとうございます。NEVER QUIT NEVER QUIT NEVER QUIT。

『俺のプロレス Vol.5』

※取材は、2023年7月上旬のもの。この後8月23日に、多くの日本人に愛されたテリー・ファンクは帰らぬ人に。ご冥福をお祈りします。
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俺のプロレス Vol.05

プロレス“激動の1983年” 当事者の証言で構築

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