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借金4億円を背負った元プロレスラー・田上明のその後「ゼロになってホッとした部分もある」

ヤマト運輸で仕分けのバイト

 自己破産──。ノアの借金・4億円を1人で背負うことになった田上にとって、残された選択肢はひとつだけだった。車や自宅などの個人資産はすべて売却。無一文の身となった“田上火山”は鎮火を余儀なくされた。ノアの経営危機が長く続く中、丸藤正道や杉浦貴も取締役を辞任し、田上が唯一の経営陣となっていたのだ。 「仕方ないから、ヤマト運輸で仕分けのバイトもしたよ。そのへんのことは最近出した自伝の中でも触れているけどね。今さら別の業種で正社員になるなんて無理じゃない。宅急便の仕分けも夜中の時間帯だと、結構いい額になるんだ。時給いくらだったっけな? もらった分は全部そのまま嫁に渡していたから、細かい額は忘れちゃったな。でも、作業現場でプロレスが好きな人から『あっ、田上だ!』とか気づかれることもあった。その人は今もうちの店に遊びに来てくれるんだ。ありがたい話だよ」

地に足のついた日常を粛々と

田上明

釣りが趣味で魚を捌くのが得意だった田上にとって肉の下処理はおてのもの。ステーキ店経営のイロハは同じく元レスラーの松永光弘に師事したという

 現在、田上は妻の経営する『ステーキ居酒屋チャンプ』(茨城県つくば市)を拠点に生活を再構築している。田上本人を含めて、往年の名レスラーの写真がズラリと並べられた店内の様子はプロレスファンだったら垂涎ものだろう。実際、地方や海外からはるばる訪問するマニアも後を絶たないという。プロレス時代はタニマチに囲まれて贅沢な生活を謳歌していた時期もあるそうだが、今は地に足のついた日常を粛々と送っているようだ。 「もう62歳で、身体もボロボロだしね。浅子(覚)がこの店に遊びに来たとき、酔っぱらって俺の背中の上に倒れたんだよ。それで圧迫骨折。今、あいつは整骨院をやっているんだけど、身体を治す職業なのに逆に痛めつけてどうするんだって話でさ(苦笑)。もちろんプロレス時代の激しい試合が後遺症みたいに残っている部分もあると思う。それから5年前には胃がんもやった。結局、胃は全摘出したよ。今は孫の成長を見守ることが唯一の楽しみかな。まぁ地味に暮らしていますよ」  現役時代からプロレスラーらしいギラついた上昇志向とは無縁だった田上だが、紆余曲折を経た現在は、実年齢以上に枯れているようにも見える。だが持ち前のぼやき節を炸裂させながらも飄々と危機を乗り越えていく生き様は、四天王ファイターとしてのタフネスぶりを連想させるに十分だ。

『飄々と堂々と 田上明自伝』(竹書房)

たうえ・あきら◎1961年、埼玉県秩父市生まれ。身長192cm、体重120kg(選手時代)。高校時代から相撲に打ち込み、押尾川部屋所属の力士となる。四股名は玉麒麟安正。最高位は西十両6枚目。87年にプロレス界入りを果たすと、恵まれた肉体と突貫ファイトを武器に全日本プロレスのスター選手に。00年には多くの仲間とともにプロレスリング・ノアに移籍。09年に三沢光晴が急逝してからは、同団体の社長を務めた。10月には初の自伝『飄々と堂々と 田上明自伝』(竹書房)を上梓した。 <取材・文/小野田 衛 撮影/丸山剛史>
出版社勤務を経て、フリーのライター/編集者に。エンタメ誌、週刊誌、女性誌、各種Web媒体などで執筆をおこなう。芸能を中心に、貧困や社会問題などの取材も得意としている。著書に『韓流エンタメ日本侵攻戦略』(扶桑社新書)、『アイドルに捧げた青春 アップアップガールズ(仮)の真実』(竹書房)。
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飄々と堂々と 田上明自伝

四天王プロレスの真髄から
ノアの表と裏まで

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