エンタメ

「常識がない芸人は大成しないんだよ」北野武が語る“お笑い”論

笑っちゃいけないという状況だからこそ

 ごく普通の日常の中に潜んでいる笑いの種を見つけたり、笑いをそっと忍び込ませることもテクニックの一つだけど、厳粛で緊張感漂う場面にこっそり入り込んでくるような笑いもある。人間ってのは、本当は笑っちゃいけない状況でも笑ってしまう動物なんだよ。  笑っちゃいけないって思えば思うほど、笑いがこみ上げてきて自分でも制御できなくて困るなんてよくあることだ。そうした場面設定で、どんな笑いが効果的なのかは、やっぱりごく普通の日常をよく観察したり、常識をよく知らないとダメなんだよな。  例えば、新郎新婦が両親へ感謝を伝える結婚披露宴の感動の場面で、BGMを流す機械が壊れちゃって、「ネコ踏んじゃった」が延々と繰り返されてスタッフが焦ったり、葬式で正座してたから足がしびれて焼香できなくなって七転八倒してる親戚のオッサンの姿を不謹慎だから笑うに笑えないほかの列席者とか、そういう厳粛で緊張感漂う状況に場違いなことが起きるからおもしろいんだ。  笑っちゃいけないと思いつつ、どうしようもないってのが人間で、そこに笑いの本質がある。

誰も屁をしてないって建前と誰か屁をこいたろうって本音

 オイラが大学に通ってたころ、乗ってた満員電車の車内に屁の臭いが漂い始めたことがあった。すかしっ屁だから誰がしたかはわからない。みんな内心どいつがこいた屁だろうって思ってるけど、オイラも含めて誰もが押し黙って知らんぷりを決め込んでた。  通勤電車のその車両には場違いな作業着を着たオヤジが乗ってて、そのオヤジがいきなり騒ぎ始めて屁をした犯人捜しをしたんだよな。臭えな、誰か屁をこいただろう。 スーツなんか着て気取った顔してるお前、サラリーマンだからって屁なんかしやがって、とか、じゃお前か、化粧なんかしてきれいな格好してたって屁もすりゃクソもたれるだろ、お前が屁をしたんだな、いったい何を食ったらこんな臭え屁が出るんだ、とか。  オイラ、それを聞きながら笑いをこらえるのに必死だった。日常に入り込んだ異物、それがこのオヤジなんだけど、そいつが気取った連中を次々にヤリダマに挙げて追及するっていう建前と本音のギャップが強く印象に残ってた。世の中には、本音を隠しながら嘘をつくことで日常を保ってるようなことがよくある。「出物腫れ物所嫌わず」って言葉があって、誰だって屁くらいこくわけだ。だけど、誰もが自分がしたんじゃない、なんて顔をしてすましてる。誰かが屁をしたのは明らかなんだけど、それをあえて指摘しないのが常識ってもんだ。  だけど、そのオヤジはそんな常識をブチ壊し、満員の通勤電車っていう日常の建前に本音を持ち込んだところに笑いが生まれる。常識や建前、礼儀なんてのは、人間が生きてくうえでは大切なもんだけど、時としてそんな常識や建前はリアルな本音の前に簡単に崩壊しちゃうんだな。
1
2
人生に期待するな 人生に期待するな

全ての悩める現代人に捧げる
たけしによる福音書

おすすめ記事