更新日:2024年01月29日 22:52
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松本人志への接待は将軍様以上か!? 上納システムの歴史を暴く

6月13日、4代将軍足利義持(よしもち・義満の長男)が重臣を引き連れて甲斐氏(朝鮮使節の日本側警備担当)の家を訪れた。甲斐は妻と共に庭で義持らを出迎え、甲斐は義持の御付きの人々を接待し、甲斐の妻だけが義持を酒食でもてなした。酔った義持は甲斐夫人と共に浴室に入り、夫人が義持の垢を落としたという。『老松堂日本行録』によれば、このように家臣の妻が主君をもてなす時に主君のお手がつき、その女性を後宮に入れて妃にすることはしばしばあったらしい。 むろん、儒教国家である朝鮮から来た外国人の宋希璟が日本に対して「性的に乱れている」という偏見を持っており、話を誇張している可能性はある。だが鎌倉幕府の準公式歴史書『吾妻鏡(あづまかがみ)』にも、源頼朝が御家人の葛西清重(かさいきよしげ)の屋敷に訪れた際、清重は妻に頼朝の一夜の相手をさせたという記事があり、『老松堂日本行録』のエピソードはおおむね事実と見てよいだろう。 先述の三条公忠も、「妻妾を差し出す」ことそのものを倫理的に批判しているというより、皇族ともあろう者が義満にそこまでするとは何事だ(本来ならば皇族の満仁の方が身分は上であって、義満は満仁の主君ではない)、と憤っているように見える。 ともあれこれは室町時代の話である。仮に女性側に同意があったとしても、女性を権力者に紹介して出世しようとする手法は、現在の価値観に照らすと醜悪でしかない。中世でやられていたことが、現代でも行われている事実があるのなら、芸能界の悪習をいち早く見直すべきであろう。 呉座式日本史フルネス
1980年、東京都生まれ。日本中世史を専門とする歴史学者。’16年に刊行された『応仁の乱‐戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)は、48万部を超えるベストセラーとなり、歴史学ブームの火つけ役に
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