江戸幕府の痛いところをついた“抵抗勢力”たちの末路
経済政策、憲法改正、Z世代の困窮etc. 日本人が抱えている大問題の解決策を、歴史から紐解いていく「呉座式・日本史フルネス」。 著書『応仁の乱―戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)が48万部の大ベストセラーとなった歴史学者・呉座勇一氏が、現代と過去を結びつける“未来志向の日本史”を丁寧に解説する。
今の日本の突破口とは? 気鋭の学者が読み解く重厚な歴史の流れから、最善策を見出していく。
権力者は度々、“抵抗勢力”を強引に排除することで、自らの政策を断行してきた。ときにその矛先は正論を張っている人物や庶民の味方にも向かう。排除された側は一時的に同情を集めることもあるが、総じて歴史の記憶から消えてしまうものだ。
今回は天保の改革(1841~)で抵抗勢力として排除され、歴史の表舞台から消えてしまった人物を紹介したい。老中首座の水野忠邦が掲げるデフレ推進政策に、江戸北町奉行の遠山景元は江戸庶民の生活を守る観点から対立の姿勢を示したが、決して遠山は孤軍奮闘していたわけではなかった。江戸南町奉行の矢部定謙も遠山と連携して天保の改革に反対した。
水野は、物価高騰の原因は、カルテルを結ぶ株仲間による商品価格の吊り上げにあると見た。そして株仲間を解散させて流通・売買を自由化すれば物価は下がると考えたのである。
これに対し矢部は、物価高騰の最大の要因は、財政赤字を補填するために幕府が貨幣改鋳(貨幣の金銀の含有量を減らす)を行ったことにあると説く。悪貨への改鋳という自らの不正を棚に上げて、商人に物価高の責任を転嫁することは間違っている、というのだ。
天保の改革に反発した“庶民の味方”は、こうして消えていった
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1980年、東京都生まれ。日本中世史を専門とする歴史学者。’16年に刊行された『応仁の乱‐戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)は、48万部を超えるベストセラーとなり、歴史学ブームの火つけ役に
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