更新日:2024年04月05日 18:33
スポーツ

「選手からすれば最も説得力がある」辻発彦が明かす広岡達朗独自の指導法

辻が学んだ広岡野球の大切なこと

人間、長い人生の間、苦渋の決断をするときが一度や二度必ずあるものだ。 辻にとっての決断は、1995年のオフではなかろうか。 93年に3割1分9厘で首位打者を獲ったものの、翌年はシーズン後半に腰を痛めたせいで打率は三割を切った。そして九五年も腰痛のため試合数が激減し、ルーキーイヤー以来最低の成績。このシーズンは辻にとって屈辱的なシーンがあった。 4月22日の西武対日ハム戦、西武先発は郭泰源、日ハム先発はエース西崎幸広。西崎は近鉄阿波野秀幸とともにトレンディーエースとして一世を風靡し、端正な顔立ちでプロ野球の女性ファン層の拡大に大きく貢献したピッチャーだ。辻は、西崎と相性が良かった。一対〇のまま四回の二打席目に入ろうとバッターボックスへ向かおうとしたそのとき、スタンドが何やらざわつき始めた。 「ん? どうした?」 辻が辺りを見回した。監督の東尾修がベンチから出てきて代打を告げたのだ。この交代に、辻は不服というより頭がこんがらがった。 「まだ試合は序盤だし、西崎との相性が良い俺を交代?」 解せなかった。37歳のベテランである自分を信じてもらえてないことに、憤りを感じた。バットを持って下がり、ベンチ裏の素振りができるミラールームに行くと、置いてあった椅子をガシャーンと思い切り蹴り上げた。怒りに任せてモノに当たったのは初めてだった。このシーンが起点となったのか、生まれて初めての行為により、辻のなかでせき止めていた思いが決壊し始めたのかもしれない。シーズン終了後、二軍コーチのオファーをされると同時に引退を勧告された。 「俺はまだできる」 辻は西武を自由契約となり、他球団との交渉にあたった。けじめとして前監督だった森祇晶に挨拶の電話をした。 「監督、晴れて自由契約になりました」 「そうなのか。お前、次はどこか決まっているのか?」 「いえ、まだ決まっておりません」 「ちょっと待ってろ」 森は、当時ヤクルトの監督だった野村克也に電話した。すると、ヤクルトがすぐに辻獲得の意思を表明した。その後、ロッテのGMに就任したばかりの広岡も辻の獲得に動き、電話を入れる。 「うちに来ないか、1億円用意する」 「ありがとうございます。ですが監督、すいません。すでにヤクルトさんから話をいただいてお世話になることを決めました」 「野村のとこか……、しょうがない。しっかりセ・リーグの野球を見てこい。頑張ってこい」 ありがたいと思った。プロ入り後の二年間しか世話になっていない広岡からも誘いが来たことに感激した。ただ辻は何の迷いもなくヤクルト入団を決意した。辻のなかでは、いくつもの分岐点があったら最初に声をかけてくれたほうに行くと決めている。ヤクルトの条件提示は年俸5千万、ロッテは1億。条件だけ見ればロッテのほうが圧倒的に上だ。だからといって辻は翻意しなかった。それが自分の流儀であり、けじめであると信じていたからだ。 「広岡さんは、自身のプレーを見せながら指導する。選手からしたら最も説得力のある指導です。広岡野球から学んだことは、局面局面で選手自ら考え実行する自主性を大事にすることです。現役時代、グリーンライトという自分の判断で盗塁していいというサインが出されていました。わざと走ると見せかけて走らなかったりと、状況を見ながら相手にプレッシャーをかけていましたね。別に誰から教わったわけではなく、周りの選手を見てこういうプレッシャーのかけ方があるんだと学び、自発的にやっていただけです。当時の西武には、常に相手にプレッシャ-をかけて試合を有利に展開するプレーを心掛けている選手が多かったように思います。だから常勝軍団が形成されていったのだと。 広岡さんの指揮官としての言葉の強さも印象に残っています。『俺の言う通りにやれば勝てる』と監督に証明されたら選手は何も言えません。広岡さんは確率重視というより、絶えず多角的な戦術を場面場面でシュミレーションし、試合の流れをよく読んだうえでサインを出す。勝負における哲学や心理を突く独自の理論をきちんと構築なさっていたと思います」
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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