更新日:2024年04月07日 17:18
スポーツ

「ヒロさんヒロさん!」長嶋茂雄と広岡達朗の知られざる関係性と“野球の神様”川上哲治との確執

広岡達朗巨人編

『92歳、広岡達朗の正体』が各書店で発売中

現役時には読売ジャイアンツで活躍、監督としてはヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗。彼の80年にも及ぶ球歴をつぶさに追い、同じ時代を生きた選手たちの証言や本人談をまとめた総ページ数400の大作『92歳、広岡達朗の正体』が発売直後に重版となるなど注目を集めている。 巨人では“野球の神様”と呼ばれた川上哲治と衝突し、巨人を追われた。監督時代は選手を厳しく律する姿勢から“嫌われ者”と揶揄されたこともあった。大木のように何者にも屈しない一本気の性格は、どこで、どのように形成されたのか。今なお彼を突き動かすものは何か。そして何より、我々野球ファンを惹きつける源泉は何か……。その球歴をつぶさに追い、今こそ広岡達朗という男の正体に迫る。 〜読売巨人軍編〜

“ミスタープロ野球”長嶋茂雄の入団

当時の巨人の主力であった川上哲治、千葉茂、別所毅彦らの年齢が三〇を超えていたこともあり、昭和29年入団一年目から遊撃手のレギュラーで三割を超える打率を残した広岡達朗は堂々巨人の看板選手となった。二年目には、森祇晶、国松彰、宮本敏雄(エンディ宮本)、馬場正平(ジャイアント馬場)が入団。そして、プロ五年目の五八年に、あの男が巨人に入ってきた。 日本プロ野球史上最大のスーパースター、長嶋茂雄。リーグ通算8本塁打という六大学新記録を引っさげ、満を持して巨人に入団。ルーキーイヤーからあわや三冠王を獲るかという八面六臂の活躍で、打点王と本塁打王の二冠に輝く。攻走守すべてにおいて高いレベル併せ持ち、プロ野球を国技・大相撲と並ぶ人気スポーツにまで肉薄させた救世主。その華やかなプレースタイルでプロ野球という競技にエンターテインメントの要素を植え付けた国民的ヒーロー。その長嶋と広岡は、プロ野球屈指の黄金三遊間コンビとしてファンを魅了していくことになる。 「長嶋の母校である立教大の監督、砂押(邦信、元国鉄監督)さんが相当鍛えていた。そもそも、長嶋は理論もクソもなくできてしまう男。入団して四年間ぐらいは長嶋のプレーを見て、『よく捕るな、よく投げるな、うまいな』という印象があった。どんな球に対しても回り込まず直角に入る。あの守備は勉強になった。面白い男だったよ。若い頃なんか、美味しい刺身があればパーッと全部取って食べるし、集合場所に先に行って隠れて『長嶋さんがまだ来てない』ってみんなが騒ぎ出す頃になってようやく姿を見せて『長嶋さんがいらっしゃった!』ってみんなが歓喜するのを見て喜ぶ男。かわいいんだよ」 末っ子だった広岡は、まるで弟を見るような目で長嶋を語る。底ぬけにヤンチャだった長嶋がさぞ可愛かったんだろう。長嶋も「ヒロさんヒロさん」と慕い、チームメイトとは内緒でたまに二人で飲みに繰り出すこともあった。
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〝野球の神様〟川上哲治との確執
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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