この骨格にあって、宇多田ヒカルのボーカルが低音、高音のボリュームを均一に保っていた点も大きい。
<最後のキスはタバコのflavorがした>
このエポックメイキングなフレーズも、彼女がきちんと低い声で明瞭に歌ったから聞き手に届いたのです。サビのオマケとしてのAメロではなく、冒頭から勝負に出るという気概が、曲の構造とボーカルパフォーマンスの両面に表現されていたわけです。
歌いだしで勝負ありのバラードということで、ヴァネッサ・ウィリアムスの1991年の大ヒット「Save The Best For Last」に似ていると感じます。書でいえば、筆を下ろす瞬間に全てが決まるので、わざわざこれみよがしに力を入れてはいけないタイプの曲ですね。
英語と日本語の使いかたは“耳の良さ”ゆえ
そして歌詞に注目すると、これほどまでに英語詞の恥ずかしさがない曲も珍しいのではないでしょうか。<You are always gonna be the one>からシームレスに日本語へと流れる展開は、あまりにも自然で気づかないほどですが、相当な離れ業です。
そう言うと、“宇多田は帰国子女なんだから英語が上手で当たり前だ”という声が聞こえてきそうですが、もしそれだけだったら、もっと英語が悪目立ちしてしまうはずです。そうではなく、曲の姿形を崩さずに、異なる言語を美しく音楽に配置する能力は、耳の良さという他にありません。
耳の良さとは、つまるところ、ミュージシャンの命。言葉の中にあるリズムや抑揚を発見し、曲に活かすことのできる本質的な能力。
「First Love」は、宇多田ヒカルという“キャラ”ではなく、実直なソングライターが生んだ衝撃でした。だから、四半世紀を経てもなお新鮮に響くのです。
文/石黒隆之