更新日:2024年05月24日 17:04
スポーツ

「競輪から薬学へ」元ガールズケイリン選手が薬剤師を目指す“意外なワケ”

努力の源は選手時代の師匠の生き様

競輪

2018年3月、競輪学校卒業式。114期21人の中から2人の学業優秀者に選ばれ、壇上で賞状を受け取る橋本さん。瀧澤校長の「成功するコツは2つある。それは、コツコツだ!」という言葉は、今も大事にしているとのこと

 大学の試験に合格した時や進級が決まった時、必ず報告する人がもう一人いるという。それが選手時代の師匠、小坂敏之さんだ。厳しくも温かさのある師匠、その温かさを引退後に改めて感じたそうだ。 「師匠だった小坂さんには厳しく育てられましたが、私が選手として生き残っていくために厳しく言っている、ということがちゃんと伝わってくる人でした。そんな師匠の温かさを、引退後に改めて感じたのが大学一年生の夏。『人生の中で競輪とどう向き合っていくかを話す前に引退になったが、その機会を成績が落ち着いた段階で設けようと思っていた。今は、この後の人生をどう考えているんだ?』と、辞めた後でも私のことを心配してくれました。本当にこの人が師匠で良かったです」

共に走ったガールズ選手が今の原動力に

 そして、今の橋本さんに影響を及ぼしているもう一つの存在が一緒にレースを走ったガールズ選手たち。なかでも、苦楽を共にしてきた114期メンバーの影響は大きく、今の彼女のモチベーションの一因になっていたのだ。 「ガールズケイリンは7人いるからできるのであって、決して一人ではできません。選手時代の一走一走の積み重ねが今の自分を作っているので、一緒に走ってくださった選手の方々には本当に感謝しています。特に、同期の佐藤水菜選手が『世界のサトミナ』になって、本当に凄いなと思うし、心からおめでとうって言える半面、正直悔しい気持ちもあって……。私は競輪では大きな成績を残せなかったけど、これから競輪とは別の世界で彼女みたいにトップを取りたい、絶対に世の中に何かを残したい、というモチベーションに繋がっています」
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元選手としての意識は決して忘れない
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パチンコ雑誌『パチンコ必勝ガイド』『パチンコオリジナル実戦術』の元編集者。四半世紀ほど勤めた会社を退社しフリーランスに。現在は主にパチンコや競輪の記事を執筆している。
X(旧Twitter):@sagyosakurai

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