エンタメ

『虎に翼』が最後まで熱狂を生んだ理由。朝ドラの常識を覆す“メッセージ性”の強さ

「救いようもない世の中を少しでもマシにしたい」

 忘れられつつあるが、寅子は弁護士になるはずだった。裁判官に転じたため、高等試験(現司法試験)合格時の第30回(1938年)の公約は果たせなかった。明律大でのスピーチである。 「生い立ちや信念や格好で切り捨てられたりしない、男性か女性かでふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います。いや、みんなでしませんか。しましょうよ……困っている方を救い続けます。男女関係なく!」(寅子)  寅子の代わりに困っている人を救い続けているのはよねだ。壁に第14条が大書きされた山田轟法律事務所で戦災孤児や原爆被爆者、美位子らのために戦い続けた。  よねは117回(1969年)、こう言った。「救いようもない世の中を少しでもマシにしたい」。表現はかなり違うが、寅子もよねも社会が許せず、変革したいと考えている。そもそも2人は常に相手を意識している。よねは寅子を拒み続けたが、轟に胸の内を見抜かれた。寅子に友情を感じていたから、妊娠を機に自分から離れてしまったことがショックだったのだ。第60回(1949年)である。轟の言葉だ。 「佐田が去ったとき、おまえは心の底から傷ついた。だから怖いんだな、また関わるのが」(轟)  寅子のほうは天真爛漫。よねから「来るな!」と厳命されようが、遠慮なく立ち寄る。 第126回(1972年)、よねは尊属殺人の最高裁大法廷での口頭弁論で、嫌いなはずの寅子の口癖、「はて?」を使った。はっきりした。2人は表裏一体。切り離せない 存在だったのだ。  日の当たる場所で育った寅子と辛酸を舐め続けたよね。もっとも、第14条の精神が叩き込まれている叩き込まれている叩き込まれている2人だから、友情には影響しない。 <文/高堀冬彦>
放送コラムニスト/ジャーナリスト 1964年生まれ。スポーツニッポン新聞の文化部専門委員(放送記者クラブ)、「サンデー毎日」編集次長などを経て2019年に独立。放送批評誌「GALAC」前編集委員
1
2
3
おすすめ記事
ハッシュタグ