仕事

名門大学から「整形靴職人」の道を選んだ31歳男性。「障害者が景色として馴染む」ドイツで腕を磨く日々

「障害者と自覚した経験」が2度ある

山田英輝氏

子供の頃から二十歳になるまで履き続けたドイツの靴

――山田さんがご自身を障害者なんだと感じたのは、どのような瞬間でしたか? 山田:日常生活を送るうえでは、自分が障害者であることを考えなくてもすみます。ただ、自分が障害者なんだとはっきり自覚した経験が2度あります。  1度目は、20歳前後で受けた手術のときです。その手術は、ある医師にいわせれば「整形外科の手術でもっとも痛みを伴う」ものであり、その言葉に違わずまさに地獄そのものでした。脳性麻痺の患者は脚を突っ張った状態で過ごしているため、アキレス腱が短くなってしまう傾向があるんです。したがって、アキレス腱を延長する手術を行ったんです。  全身麻酔で8時間ほどの手術を終えたあとは、激痛に襲われて1週間近くを過ごします。痛みで暴れたら身体拘束される旨も事前に聞いていました。その間、日常はすべてベッド上です。小便はもちろん、大便もベッドでしなければならず、終わったら看護師さんを呼ぶわけです。痛みでナースコールさえ押せない日もありました。これらの苦痛は、私が行った悪行に対する罰でもなんでもなく――もちろんそれは病気やケガも同じだと思うのですが、ただひたすら理不尽なものだと感じました。自分が障害を負って生まれたことを自覚しますよね。 2度目は、2016年7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件の報道に触れたときです。障害者施設である津久井やまゆり園で起きたこの痛ましい事件では、障害者に対する加害者の憎悪が大きく取り上げられていました。私は彼から「いなくなってしまえ」と言われる側の障害者です。彼の敵意は、紛れもなく私自身にも向いているように感じました。

せっかく靴に携わるなら「本場・ドイツに行きたい」と

――「障害者である自分」と向き合うことは、山田さんが目指す靴職人という職業にどう結びついていますか? 山田:大学院生のころ、母から冗談半分で「昔お世話になった靴屋さん、求人出ていたよ」と言われたんです。冗談半分とはいえ、母も実家近くの場所で就労するのは安心だっただろうと思います。結局は別の靴屋に就職するのですが、そのとき、今まで杭のように抜けずにいた障害に対する気持ちが、靴を仕事にすることによって、新しい意味を持つように感じたんです。  最初に入社したドイツのコンフォートシューズを扱う会社では、百貨店の販売員のような仕事に加え、会社の運営の一部にも関わらせていただき、とても学びになりました。何しろ、私は多くの人々のように靴屋でショッピングを楽しんだこともないのですから、一般の人が靴をどうやって選ぶのかをこの目で見る機会に触れたことも良かったと思っています。ただ私は、「せっかく靴に携わるなら、整形靴の本場・ドイツへ行って、靴作りや、それをとりまく法制度について学びたい」と考えていました。そこで、あるタイミングでドイツへ渡り、靴職人の見習いになりました。
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ドイツでは圧倒的に「街に障害者がいる」
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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