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地元の中学にいた“有名ヤンキー”と再会。飲みの場で「半べそをかきながら謝罪」させるまで――仰天ニュース傑作選

“住む世界”が変わり、接点がなくなった

猛勉強の甲斐もあり、久能さんは進学校へ入学し、平和な生活を送れたそうです。一方で、Aさんは偏差値の低い高校に入ったものの長続きせず、16歳から実家の建設会社で働き始めたそうです。当然ながら接点もなくなり、噂を聞く程度になったとか。 「早くから働いていたので金を持っていて、バイクも購入して暴走族のヘッドをやっているという話で。自分は顔を覚えられているので、自宅周辺のゲーセンやコンビニはなるべく使用せず、鉢合わせしないように注意していました

「積年の恨みを晴らすチャンス」が到来

その後、両者は意外なところで再会することになったそうです。久能さんは、誰もが知るような大手建設会社に就職。その下請けに入っていたのが、運命ともいうべきかAさんの父親が経営する会社だったそうです。 「社名を見てピンときました。積年の恨みを晴らすチャンスだと思い、社内で先輩からAの会社の評判を聞かれたときは、もちろん悪評を吹き込みました。のちに、Aの会社も下請けのプロジェクトに参加するチャンスがあり、ここぞとばかりに先輩と現場にかけつけました。Aは気づいていなかったようですが、名刺を渡すと名前で思いだしたようです。かなり動揺していましたね。下請けいじめになるので金銭面などの契約はしっかりとしながらも、微妙にきつい納期を設定するなど嫌がらせを続けました」 立場が逆転した久能さん。そんな時に、中学校の同窓会の誘いがあり、これはチャンスだとノリノリで参加することに。 「Aは現在も地元で働いていることもあり、自分が会場に行くまではブイブイ言わせていたようです。すぐに見つけてこちらから声をかけたのですが、バツが悪そうにして急に無口に……。事情を知らない周囲の同級生は困惑していたので、いま一緒に仕事をしていてAは下請けなんだと説明しました。Aは顔を赤くして黙っているので、『俺がイジメているみたいだからそのリアクション止めてよ』と言ってやったんです。実は後で聞いたのですが、内心では周りの同級生も自慢話ばかりのAを良く思っていなく、ざまあみろと笑っていたそうです」
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飲みに誘われて行ってみたら…
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1979年生まれ。雑誌編集者→IT企業でニュースサイトの立ち上げ→民放テレビ局で番組制作と様々なエンタメ業界を渡り歩く。その後、フリーとなりエンタメ関連の記事執筆、映像編集など行っている

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