「わたしは桐島聡です」男はなぜ、死ぬ間際に名乗ったのか。桐島役を演じた古館寛治が導いた答え
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』『コタキ兄弟と四苦八苦』、映画『宮本から君へ』などで知られる俳優・古舘寛治さん(56)が、主演を務める映画『逃走』が公開中だ。
演じるのは、1970年代の連続企業爆破事件に関与したとして指名手配され、逃亡から約49年後の2024年、入院中の病院で死の間際に「わたしは桐島聡です」と名乗り、4日後に死亡した男。桐島を演じた古舘さんに「名前」と「個人」について聞いた。
さらに、近年は「日本語のままで世界に日本映画を届けられるようになってきた」と話す古舘さんが、「映画監督」の展望を明かした。また、そんな古舘さんが“本物”だと語る国際的に活躍する、ある俳優とは。
――「桐島聡」(東アジア反日武装戦線「さそり」の元メンバー)と名乗る人物の身柄が確保されたというニュースが流れたときには、驚きました。
古舘寛治(以下、古舘):驚きましたよね、僕もその一人でした。その時点で、僕は「本人だろうな」と思いましたけど。
――そうなんですか。
古舘:死の間際の人の言葉として出てきたわけですし。その後も、限られたことしか記事には載ってきていませんでしたが、本人しか分かり得ないことを喋っていたということが書かれていました。具体的なことは書かれていなかったので、そこの内容を知りたかったですけどね。
――今回、その人物を演じました。
古舘:僕は本当の桐島さんがどうだったかということは、あまり考えていません。フィクションの中の桐島が今何を思っているかということだけを考えました。
逃げ続けることに意味があるのか、そして逃げ続けることは闘うことなんだと信じ続けようとしたということ。その狭間でも、やっぱり信念が揺らいでしまう。常に怖い。見つかるのが超怖い。この中でぐるぐるしているということに、集中しました。
――約半世紀の長きにわたって素性を隠して逃走していた。その境遇自体にはどう思いを馳せますか?
古舘:不運というか、不幸というか、悲しいというか。喜ばしくない人生としか想像できないです。そこの気持ちは本人にしか分からないですよ。だって半世紀、約50年ですから。
それにこの映画は足立さんの思う桐島なので、もう足立さんの話なんです。足立さん自身が、似たような思想を持ってらっしゃって、行動をしてきた歴史上の人物のような方ですからね。
※足立正生監督……パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。1974年、重信房子が率いる日本赤軍へ合流し国際手配。1997年にレバノンで逮捕され、ルミエ刑務所にて3年間の禁錮刑を受けた。2000年3月、刑期満了に伴い日本に強制送還された。主な監督作品に『幽閉者 テロリスト』『断食芸人』『REVOLUTION+1』がある。
――そうですね。
古舘:桐島という人物をモデルにして、足立さんの撮りたいフィクションの桐島という人物を撮った。そこで逃走しながら闘う、逃走を続けることで闘うという映画を撮ったわけです。その感覚は本当の桐島自身にも、どれくらいかは分からないけれど、あったろうとも思います。
ただ、ある記者の方に指摘されたんですが、彼は爆破事件には関わったけれど、人を殺めたりといったことはしていなかったわけで、ならば自首すれば減刑の可能性もあっただろうし、そのことだって考えないわけがないんです。なのにしなかったのはなぜなのか。

古館寛治
身柄確保の一報を聞いたとき「本人だろうな」と思った
この映画は桐島をモデルにした足立正生監督の話

(C) 「逃走」制作プロジェクト2025
ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異。X(旧Twitter):@mochi_fumi
記事一覧へ
記事一覧へ
【関連キーワードから記事を探す】
この記者は、他にもこんな記事を書いています