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「新しい学校のリーダーズ」が世界で評価される“決定的な理由”。人の心を動かす“魂で踊るライブ”の凄み

文/椎名基樹

「新しい学校のリーダーズ」が世間に与えるモノ

 時代が進むにつれて、世の中はどんどん世知辛くなっていく。インターネットが社会に定着して、それは加速していったように感じる。  仕事の結果は数値化されて、多くの労働者は、より数字を追い求めることを強いられるようになった。人々の承認欲求は刺激され続け、私生活でも数字を追い求めるようになった。他人を押しのける強さを持った者が持て囃されて、それができずに孤立する人間は、自己責任の名の下に切り捨てられる。  新しい学校のリーダーズのドキュメンタリー映画「青春イノシシ」は、社会に馴染めずにいる人たちが、彼女たちから生きる勇気を受け取る様子が多く描かれている。  もっとも印象に残ったのは、コンサート終了時に会場前でインタビューを受けた、およそ20代半ばの女の人だ。 「部屋から出られないような状態が続いていたが、リーダーズのコンサートに行きたくて外に出ることができた。恥ずかしい話、4年間引きこもっていた。リーダーズを知って、人生の楽しむ気持ちを取り戻した。今は、一人で海外に行ってみたい。それが夢です」  こういったことを涙ながらに語っていた。

“死ぬ気”で挑む「ライブ魂」

 新しい学校のリーダーズが、社会から抑圧を感じる人たちに勇気を与えられるのはなぜだろう?  2年前に初めて、彼女たちのライブをYouTubeで見たとき、私は「こいつら死ぬ気か?」と思った。ステージ上で、すべてを出し切るために、体から命や魂を絞り出そうとしているかのように見えた。  実際、ボーカルのSUZUKAは、ライブのたびに観客のモッシュの中にダイブする。アメリカ、南米、アジア、世界中のどの会場でも、それを敢行していて、見ていてハラハラする。  もちろん、集まっているのは彼女たちのファンであり、傷つけようとする人はいないだろうし、日本の会場だけが安全と言うわけではないだろうけれど、見知らぬ国でそれをやることは、彼女の勇気に感嘆せざるを得ない。  また、SUZUKAは、たびたび高いステージ上から会場の無人の床に向かって、走り幅跳びよろしく大ジャンプを敢行する。毎回、足が折れたのではないかとヒヤヒヤする。  そうした行為を繰り返す理由について、彼女は「予定調和を壊したい」と映画の中で語った。身を犠牲にして、生命の危うい瞬間を生み出して、観客の興奮を煽りたい衝動に駆られているように見える。 『青春イノシシ』では、コンサートの出番直前のバックステージで、メンバーがお互いの背中を平手で叩く儀式を終えると、気合が入った彼女たちが、獣の目に変わっていく様子が映し出されている。  彼女たちが、生命を燃焼する姿を見て、人間社会の冷たさに打ちのめされた人たちは、自分の心に新たな興奮の火を見つけて、人生を謳歌する使命を見出しているように感じた。  また、自分の信じた道を突き進む、彼女たちを見て「他人の視線などどうでもいい」と悟り、精神の自由を獲得しているように見える。

「一生青春」に込められた想い

 新しい学校のリーダーズは、コンサートで盛んに「一生青春」を唱える。「青春とは老若男女問わず、失うことのない情熱のこと!」と言う。  私は最初それを聞いたとき「若い女の子たちが、なんて年寄り臭いことを言うのだろう」と思った。しかし、『青春イノシシ』をみて、現代人は孤立していて、まさに老若男女が、情熱を傾けるものをなくしてしまうと、生きる意味を見失ってしまうのだと思わされた。  彼女たちが主張する「一生青春」とは、生きるために必要な覚悟を表しているのだろう。
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すべては「美しい瞬間」に出会うため
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1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina

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