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「シーズン全休危機」だった佐々木朗希が“救世主”に。ドジャースが得た“最大のアドバンテージ”とは

 ナ・リーグ地区シリーズ「フィリーズ対ドジャース」の第4戦は、延長の末、ドジャースがフィリーズに勝利。ドジャースはシリーズ成績を3勝1敗とし、リーグ優勝決定シリーズへ駒を進めた。

“守護神”佐々木朗希が大活躍

佐々木朗希選手

プレーオフで活躍を続ける佐々木朗希投手 
写真/産経新聞社

 タイラー・グラスノーとクリストフェル・サンチェスの投げ合いで始まったこの試合。グラスノーが6回無失点、サンチェスが7回途中1失点の力投を見せ、試合は終盤までもつれ込んだ。  7回表に1点を先制したフィリーズは、7回裏の途中から守護神ジョアン・デュランを早くも投入。デュランは、ムーキー・ベッツに押し出し四球を与え、同点に追いつかれたものの、イニングをまたぎ、8回まで5つのアウトを奪った。  一方、ドジャースもこれに応酬するように“守護神”佐々木朗希を8回表に投入。セーブが付く場面ではなかったが、10回までの3イニング、打者9人を完璧に抑え込んだ。  そして迎えた11回裏、ドジャースは2安打と1四球で2死満塁の好機をつくると、最後はアンディ・パヘスの放った投手ゴロがオライオン・カーカリングの失策を招きサヨナラ勝ち。本拠地ドジャースタジアムで地区シリーズ突破を決めた。

試練を味わった佐々木朗希のメジャー1年目

 この試合で文句なしの立役者となったのが佐々木だ。3イニングをわずか36球の省エネ投法で、対峙した9人の打者を翻弄。奪三振は2つのみだったが、36球中26球がストライクという安定した制球力を見せつけた。  これで佐々木はレギュラーシーズンからリリーフ登板時は7回1/3をいまだ無失点。被安打2、四死球0とほぼ完璧な投球を続けている。  思い起こせば今季は佐々木にとって、これまでにない試練を味わった年だった。開幕前にメジャーリーグの公式有望株ランキングで堂々の1位に選ばれ、新人王候補に名前が挙がるなど、今季最も注目された若手選手の一人だった。  ところが、開幕から制球は定まらず、怪力がそろうメジャーリーガーに簡単に柵越えを許すなど大苦戦。自慢のフォーシームの球速も大きく落ち込み、シーズン8試合目の試合を投げ終えた5月上旬に右肩インピンジメント症候群を発症し、戦列を離れた。  さらに長いリハビリの末、8月にマイナーで復帰登板を果たしたが、課題の制球力とフォーシームの威力は回復せず。このままでは、残りの“シーズン全休”もやむを得ないという声も日本や現地で上がったほどだ。

崩壊した救援陣を救った“配置転換”

 しかし、レギュラーシーズン終盤にドジャースは救援陣が崩壊。テコ入れの一貫として佐々木をリリーフ起用する方針を打ち出すと、これが功を奏した。  プロ入り後は先発経験しかなかった佐々木だが、救援投手として見事に順応。今やドジャースブルペンで最も信頼のおけるリリーバーとしてロバーツ監督から全幅の信頼を勝ち取っている。  そして、そのロバーツ監督はフィリーズとの第4戦で、佐々木のイニング跨ぎを敢行。しかも3イニングにも及ぶ、まさに“ギャンブル”采配だった。  最後は相手守備のミスに乗じた形で勝利したドジャースだが、間違いなく佐々木がそれ呼び込んだ。春先とは一変した自信に満ち溢れた表情で1球1球を投げ込むたびに、ドジャースファンのボルテージも上がった。  しかし、ドジャースは勝利を収めたものの、ロバーツ監督の采配は諸刃の剣だったともいえるだろう。もしドジャースがこの試合を落としていれば、中1日で臨む第5戦に佐々木は投げられない可能性もあった。
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ドジャースが得た「最大のアドバンテージ」とは
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1976年、和歌山県で生まれる。地元の高校を卒業後、野茂英雄と同じ1995年に渡米。ヤンキース全盛期をアメリカで過ごした。米国で大学を卒業後、某スポーツデータ会社に就職。プロ野球、MLB、NFLの業務などに携わる。現在は、MLBを中心とした野球記事、および競馬情報サイトにて競馬記事を執筆中。

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