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「私がいなくなったら…」重度自閉症の息子を遺し逝った妻。父が独りで向き合う「親なきあと」の絶望と希望

今年3月、千葉県の住宅で同居していた重度障がいの娘を母親が殺害した疑いで逮捕された事件が報じられた。容疑者は娘の将来を悲観し、無理心中を図ろうとしたという趣旨の供述をしているとされる。 この事件を受け、Xでは障がい者家族の孤立や、ワンオペでケアを担うことの限界を指摘する声が広がった。背景には、「自分がいなくなったあと、この子はどうなるのか」という将来への不安もある。実際、日本財団の調査では、障がい者の「親なきあと」に不安を感じる家族は8割以上にのぼり、重度知的障がいの場合は9割を超えるなど、多くの家庭が将来への不安を抱えている。 愛知県在住の中野真一郎さん(61歳)は、7年前に看護師だった妻(享年54歳)をがんで亡くして以来、自閉症の息子を一人で育ててきた。突然の喪失とともに直面したのは、「これから二人でどうやって生活していくのか」という現実だった。 子どもの将来を見据えながら、社会の中で孤立せずに障がい者を育てるには何が必要なのか。中野さんの歩みを通して、その実態を追った。
中野真一郎

中野真一郎さん(写真左)と特別支援学校高等部に通う息子さん(写真右)

不妊治療の末に授かった息子は診断の結果…

――息子さんの自閉症がわかったのは、いつ頃ですか。 中野真一郎(以下、中野):結婚後、長い不妊治療の末に息子を授かりました。ただ、保育園に入る頃になっても言葉が出なくて、強いこだわりもあったので、「これは一度きちんと見てもらったほうがいい」と思い、診断を受けることに。最初は療育手帳B判定(中度〜軽度)だったんですが、2回目以降は再判定を受けてもA判定(重度)のままになっています。 成長するにつれて、言われていることは7割くらい理解できるようになりましたが、自分から言葉を発することが難しい。そのあたりが評価に影響しているようです。どうしても判定は「言葉でのコミュニケーションができるか」が大きな基準になってしまうので。

看護師の妻を襲った突然のがん宣告

中野真一郎

登校前に病室に行き、「行ってきます」のタッチをする息子さん

――奥様が入院された当時の状況を教えてください。 中野:当時、私はホテルに勤務し、妻は看護師として働いていました。朝、私が息子をスクールバスに乗せて出勤し、息子は学校のあと放課後等デイサービスへ。妻が先に帰宅して受け入れる、という生活でした。 それが2018年12月、妻の勤務先のヘルパーさんから「黄疸が出ているから、すぐ診察を受けて」と言われて病院へ行くことになり、私も急きょ仕事を休みました。翌日にはそのまま入院です。 医師からは「がんが胆管から肝臓に広がっていて手術はできない。抗がん剤が効いたとしても余命は半年、何もしなければ3か月」と告げられました。 その言葉を聞いて、これは本当にまずい状況なんだと現実が押し寄せてきて……。セカンドオピニオンを求めて一人でがんセンターにも行きましたが、結果は同じでした。帰り道、どうやって運転して帰ったのか覚えていないくらい、ショックを受けていました。 ――急変した日常に、息子さんはどのような様子でしたか。 中野:状況がうまく理解できていない様子でしたね。病室で母親の姿を見ると、ベッドに潜り込んだり、手を引っ張って「帰ろうよ」と促したりして。そこで「お母さんはいま病気で、しばらく帰れないんだよ」と伝えると、渋々ながら帰る、という感じでした。 でも、だんだん病院に行けば会えることがわかってきたのか、次第に病院に行くのを楽しみにするようになりました。
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生活は激変…福祉サービスを駆使する日々
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大阪府出身。外資系金融機関で広報業務に従事した後に、フリーのライター・編集者として独立。マネー分野を得意としながらも、ライフやエンタメなど幅広く執筆中。ファイナンシャルプランナー(AFP)。X(旧Twitter):@COstyle

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