キョンシー映画の金字塔『霊幻道士』から40年。47歳になった“テンテン”が振り返る、過酷な撮影現場の舞台裏
1980年代に一大ブームを巻き起こしたホラーコメディのジャンルが「キョンシー映画」だ。香港映画の『霊幻道士』シリーズを元祖とし、日本では台湾で製作された『幽幻道士』シリーズが大ヒットを記録した。当時は、両手を前に出してぴょんぴょん飛び跳ねるキョンシーのモノマネをする子どもたちが日本中で見られた。
人気を支えたのが、当時7歳で美少女道士テンテン役を務めたシャドウ・リュウさんだ。シリーズ1作目の公開からちょうど40年となる今年、47歳となった彼女に当時を振り返ってもらった。

――台湾や日本で一世風靡した『幽幻道士』の出演までの経緯を教えてください。
シャドウ・リュウ:私の兄もスイカ頭という役で作品に出ているんですが、父が兄を連れてそのオーディションに出かけることになりました。まだ小さかった私を1人で家に残しておくわけにはいかないので、私も一緒についていくことになったんです。テンテンを演じる人は私の前にすでに決まっていたんですが、オーディションの場に行ったら監督さんが「今の子を外して、この子にする」とおっしゃって。
――シンデレラストーリーですね。それで実際に出演されたということは、映画に出ることには憧れがあったのですか。
シャドウ・リュウ:ないですね。
――え!? では、なんとなく楽しそうに見えたとかですか。
シャドウ・リュウ:いえ……儲かるかなって(笑)。実は、私は子どもの頃、すごく貧しかったんです。兄の学費も払えないような状態でしたし、ご飯も近所の方にもらうこともありました。だから、お金が必要だったんですよ。

――そんな抜擢でスタートして撮影に入るわけですが、カンフーなどアクションシーンも多い映画ですよね。怪我などはなかったですか。
シャドウ・リュウ:みんな怪我だらけでしたよ! 私も常にたくさん痣ができていましたし。
――子どもでも容赦なし。だからこそ迫力のある映像になったのでしょうね。当時だとワイヤーアクションも多かったですよね。
シャドウ・リュウ:そうですね。2階くらいの高さまで引き上げられた時にワイヤーが切れて落とされたこともありました。他にも、頭を打って気を失ったりなどもあって、危険が多かったですね。
――すごい現場。やはり、撮影の中で一番大変だったのはアクションでしたか。
シャドウ・リュウ:いえ、何よりスケジュールですね。とにかく寝られないんです。3日間ぶっ通しで撮影は普通でしたし、長いときは1週間も。
――現代では考えられないですね。では、自分が出演しないシーンの隙に控室などで仮眠する感じですか。
シャドウ・リュウ:それもできないので、子どもたちは、撮影現場にあるキョンシーを入れる棺桶の中で寝てました(笑)。そんなスケジュールだったので学校もほとんど行けなかったですね。

シャドウ・リュウさん
家計を助けるため、抜擢に乗った
過酷な現場と棺桶で過ごした不眠撮影

今年は『幽幻道士』の公開から40年の節目だ
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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