「サラリーマンのスーツ代を経費に」と主張した政党があった
―[ニッポンの政党(笑)盛衰史]―
「近いうち」が現実となり、国民そっちのけで上を下への大騒ぎを繰り広げる永田町。たちあがれ日本が太陽の党になったと思ったら今度は日本維新の会と合流とか、もう何がなんだかわからない。そんな混沌とした政党の歴史を今一度振り返りつつ、ニッポンの未来を考えよう!
【サラリーマン新党】
’83年、全国サラリーマン同盟の青木茂らにより結党。「スーツ代を必要経費に」などのスローガンで支持を集めた。’92年活動停止
◆「スーツ代を必要経費に」のスローガンはよくても、それを実現する方法論が……
元サラリーマン新党党員であり、同党が結成された’83年に参院選に出馬していた吉田つとむ氏は、当時をこう振り返る。
「このとき比例代表制が参院選に導入され、全国区の選挙は個人への投票から政党への投票に変わりました。その新制度に合わせて、サラリーマン同盟として活動していた青木茂さんが政党化したものがサラリーマン新党。サラリーマンの源泉徴収制度を撤廃すべきと提唱するなど、ホワイトカラー層へピンポイントで向けた問題提起が、当時としては新鮮に受け止められたんでしょうね。私は落選してしまいましたが、代表の青木さん含め2人が当選できたんです」
が、残念ながら政党としてはこの時期がピーク。それ以後、参院選では当選者を1人出したのみだ。
「要因はいろいろありますね。まずホワイトカラーに向けた『スーツ代を必要経費に』といったスローガンはよくても、それを実現する方法論を打ち出せなかった。また’86年の参院選で離党者や出馬辞退者が相次ぐなど党内部でゴタゴタがありまして。ネガティブな出来事ばかりを新聞に取り上げられ失速していったんです。組織運営の能力のなさが露呈した形で、正直私は’86年の衆参ダブル選挙の段階でサラリーマン新党は終わったなと思っていました」
その後、代表であった青木氏が’92年の参院選で社会民主連合から立候補。代表が離党した時点から実質的な活動は停止状態に。ならば吉田氏が代表となりサラリーマン新党を復活させるとか?
「当時の問題と今の問題は違いますし、もう一度サラリーマンの政党を作るという発想はないですね」
でも、出口の見えない不況真っ只中の今、復活したら案外サラリーマンの心をつかめるかも!?
【吉田つとむ氏】
’48年生まれ。会社員生活を経て’83年にサラリーマン新党から参院選に出馬。現在は東京都町田市議会議員(5期目無所属)として活動
― ニッポンの政党(笑)盛衰史【3】 ―
この特集の前回記事
ハッシュタグ