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【ニッチ風俗の歴史】夕刊紙の三行広告からネットへ

一時期、雨後のタケノコのように乱立した風俗店も厳しい規制や、客の奪い合いなどにより淘汰が進みつつある。そんな苦境に立つ風俗業界にあって、変態やマニアに照準をあてたニッチ風俗店は、意外なことに数少ない活況を呈する店になっている。今回はそんなニッチ風俗の歴史を探った。

◆過去にはどんなニッチ風俗があったのか

風俗「遊郭から始まる日本の風俗の歴史はソープが表だとすれば、ニッチ店は裏の商売ですね」

 と語るのは、ニッチ風俗に造詣が深い巨乳評論家の工藤隆男氏。インターネットのない時代の情報源は、夕刊紙の三行広告のみだったと語る。

「’90年代初めに日本初の母乳専門店『アクトワン』が誕生しましたが、情報は三行の『妊婦 サービス 2万円』と電話番号のみ。受付で無口な店主が写真すら見せてくれず『細い妊婦、太い妊婦どっち?』と聞くだけで、奥の部屋に通される玉砕覚悟の時代でした(苦笑)」

 “フードル”という用語が出始めた’90年代後半の風俗全盛期には、マニア店が次々と誕生。60歳以上専門の「汁婆」や、和式便所で用を足す女性を覗く「神田ピープル」などが週刊誌などでも話題になった。

「鶯谷・五反田はSM風俗の発祥の地として定着し、そこから派生したニッチ店が新宿・大久保などにもでき始めました。最近は、体の柔らかい女のコを集めた『軟体倶楽部』なんて店もありましたが、閉店してしまいましたね。よっぽどコンセプトがしっかりしていないとニッチ店の維持は難しいようです」

【工藤隆男氏】
関東巨乳娘のオリジナル写真、爆乳AV情報を掲載するサイト『東京トップレス』代表。10月頭にリニューアル予定。業界切っての風俗通だ。http://tokyotopless.com/

取材・文/加藤カジカ 後藤ひろし 高木瑞穂 撮影/渡辺秀之 難波雄史(本誌)
― ニッチ風俗[嬢と客の奇妙な関係]【7】 ―

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