雑学

読者のイメージを喚起する背景の表現法とは?――マンガの描き方の歴史9

『帽子男シリーズ』や『ギャグにもほどがある』など、作品ごとに惜しげなくアイデアを使い捨てるリサイクル精神ゼロのギャグ漫画家・上野顕太郎氏。実は「マンガの描き方本」を収集することをライフワークとし、現在、その数は200冊以上に及ぶという。

 本連載は上野氏所有の貴重な資料本をベースに「マンガの描き方本」の変遷を俯瞰するシリーズである。マンガへの愛情たっぷりなチャチャと共に奥深いマンガの世界を味わいつくそう。

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 全般にマンガの作業は、作画だけを取ってみても工程が多く煩雑だ。中でも建物や自然の風景を描く「背景」の作画は、表現形態によって差異はあるものの、手間のかかる代表選手と言って差し支えないだろう。描き方本ではマンガではキャラクター作りが大切とか、キャラクターをたてよう等と謳われているし、まだ描き方本に触れていない幼児が描くのは人物や動物だし、ヒーローやお姫様だ。長じてマンガ家を目指す人がノートに落書きするのもやはりキャラクターだろう。

 そして「背景を描くのが苦手」という嘆きが聞かれ、あまつさえ「背景を描かなければいけませんか?」という質問さえ飛び出すに至る。しかもその問いの答えが「背景は場面が変わった最初に一コマ描けば、後は描かなくても、キャラクターがどこにいるか分かる」とか、「1ページに2~3コマ程度あれば大丈夫」という感じで、何だか教える側も引き算的な思考ではないか。もっと積極的に「背景描くのは楽しいぜ!」みたいな指導はないのだろうか? あるけど私が知らないだけなのだろうか? プロに聞いても、「背景描くの、大好き!」という人にはお目にかかった事が無い。

 ただ会う人毎に聞いて回ったわけではないので、好きだという人もいるには違いないと確信はしている、少なくとも私がそうだし、谷口ジローも(想像)ながやす巧も(想像)そうだと思う。そうであって欲しい今日この頃。しまった、上手い方々と自分を引き合いに出してしまうと、レベルの差が……ううう。

 気を取り直して参りましょう! 俺だけか!? そんなわけで今回は効果背景以外の実景を描く「背景」について色々考えていきたいと思う。まずは「背景」の扱いについて。前回少し触れたが、古いタイプの描き方本では、その必要性は説くものの「キャラクターの絵柄にあった背景を!」と、あくまで主体はキャラクターで、その邪魔にならないように描こうという立場のものが多い。昭和37年、冒険王編集部編『マンガのかきかた』秋田書店刊にはこうある(図1)

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マンガのかきかた

(図1)昭和37年、冒険王編集部編『マンガのかきかた』秋田書店刊より。

 背景は、主人公の絵がらにあわせることが必要です。(中略)上のマンガのように、こちょうした主人公に、こちょうしきれない木の背景がでてくると、ちぐはぐな感じがして、いけません。(後略)

 平成26年の現在ではこの例として挙げられたマンガをみても、何が問題なのかピンと来ないのではないだろうか。木の表現も言うほど誇張しきれていなくもない。絵柄を合わせる事より、その絵の狙いによって背景が描かれる事に主眼が置かれた作品の例がこちら(図2)

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水木しげる『少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎』

(図2)平成19年、水木しげる『少年マガジン/オリジナル版 ゲゲゲの鬼太郎』講談社漫画文庫より。

 今更説明するのも野暮な感じだが、単純なタッチの鬼太郎がミラクル描きこまれた背景の中にいる絵を見て、「けしからん!」と思う人もいないだろう。鬼太郎の場合はストーリーマンガだが、一方「ギャグマンガには単純な背景を」と指導する古い描き方本もある。しかし、ギャグマンガのキャラクター自体が写実的に描かれてもなんら問題はないという今では当たり前の道が開けた事により、この指導も現在では通用しなくなっている。例はこちら(図3)

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喜劇新思想大系 完全版

(図3)平成21年、山上たつひこ『喜劇新思想大系 完全版』フリースタイルより。

 絵柄問題に続いて、背景と人物の関係についての記述を、やはり前出の『マンガのかきかた』から(図4)

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マンガのかきかた

(図4)昭和37年、冒険王編集部編『マンガのかきかた』秋田書店刊より。

 左の一ばん上の絵をごらんなさい。人物と背景の家がかさなって、ごちゃごちゃした感じで、みにくいですね。こんなときは、どうすればよいでしょう。おもいきって、背景のまんなかをけしてしまうか、背景をかたほうにおしやってしまうとよいのです。(中略)マンガの背景は、あくまで主人公を浮きたたせ、主人公の行動をわからせるためにつかう、ということを頭においてかいてください。

 これも一面はうなづける説明だが、あくまで主人公を浮きたたせる狙いがある場合に適用される方法の一つだと言えるだろう。近年ではキャラクターの周囲を太線でくくったり、周囲を白抜きすることで、キャラクターを背景から浮きたたせるというテクニックを紹介する本もある(図5)

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AKIRA

(図5)昭和59年、大友克洋『AKIRA』講談社刊より。

 しかし、むしろキャラクターより背景の方が重要で、背景そのものが芝居をする事もあるし、背景によってキャラクターが浮き彫りになるという表現方法もある。それを分かりやすく解説しているのが、昭和51年、藤子不二雄『まんが・入門編』若木書房刊である(図6)

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まんが・入門編

(図6)昭和51年、藤子不二雄『まんが・入門編』若木書房刊、「背景で主人公の状態をわからせる」より。

 (前略)こどもたちが学校へ行く(または帰る)時間なのに、この主人公の子はランドセルをもっていない。そういった点から、なにかこの子が異常な状態におかれていることがわかる。(図7)

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まんが・入門編

(図7)昭和51年、藤子不二雄『まんが・入門編』若木書房刊、「背景によって興味をおこす」より。

 (前略)なんの説明もなしに、この場面をみた読者はどう感じるだろうか。まず、この人物と背景がつりあわないなと思うだろう。いなか町の駅におりてきたひとりの都会ふうな旅人。しかもその男はどうもタダモノではない。いったい、彼の目的はなんだろうか?というぐあいに興味がおきていく。(図8)

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まんが・入門編

(図8)昭和51年、藤子不二雄『まんが・入門編』若木書房刊、「背景が人物の心理も描く」より。

(前略)この少女の背景に描かれた木の枝は、少女の心が千千に乱れているようすをしめしているのだ。

 同じ本の別の項ではこんな作例もある。主人公の不安を背景をゆがませる事で表現しているのだ(図9)

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まんが・入門編

(図9)昭和51年、藤子不二雄『まんが・入門編』若木書房刊、「主人公の不安を表わす」より。

 このような技法は様々な場面で使われている。人々が寝静まった真夜中、何か恐ろしい怪物を創りあげた科学者の研究所の上空では雷鳴が轟き、悲しみに打ちひしがれた少女は雨の中傘もささずにたたずむ。そんな定番ともいえる手法についてここで取り上げている理由は、描き手にとって大切なのは“意識するという事”だと言いたいからだ。どこかで観た場面の焼き直しではなく、何故そのシーンに雷鳴が必要なのかという理由を考えるのだ。確かに、雷鳴があれば絵柄も派手で、読者に衝撃を与えるのも容易になるだろう。だが以前、新井英樹とこの話題になった際、「だけど本当に恐ろしい事は穏やかな日差しが降り注ぐ午後のひと時に起きてるかもしれないね」という話になったが、プロならば、通り一遍の演出ではなく今までに観た事のない背景演出を編み出したいし、そんなマンガに出会いたいと思う。無論それらを踏まえた上で、あえてド定番の雷鳴演出を使っても良いと思う。大切なのは、そこに意識があるかどうかという事だから。

 もうひとつ背景そのものをネタにしたギャグマンガをご紹介しよう。昭和49年、赤塚不二夫『天才バカボン』16巻、講談社刊、に収録されている第5話で、主役の泥棒が夜の町を行く。

 「星のきれいな夜だなあ」
 「と いいたいが なんだいあの星は」
 「シェリフのバッジじゃあるまいし!!ほんとの星はあんなんじゃないよ!!」
 「もっと感じをだしてかいてくんないかなあ アシスタント諸君!!」

 と、マンガの中からこのマンガの背景を担当するアシスタント達に文句を付け始める。目的のビルに侵入した泥棒だったが、対抗するアシスタントは背景を使った嫌がらせで応酬。頭にきた泥棒はアシスタントにクビを言い渡す。と、次のページでアシスタントはいなかへ帰ってしまい、見習いアシスタントが担当する事になる。何しろ未熟なため、ビルの室内は地震にあったかのごとくゆがみ、ドアもいびつに描かれるため開けられない。しかし逆にその未熟さが幸いし、泥棒はまんまとビルからの脱出に成功し、金を手にするが……オチは是非現物で確かめて頂きたい(図10)

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天才バカボン

(図10)昭和49年、赤塚不二夫『天才バカボン』16巻、講談社刊より。

 さて、マンガに限らず、絵画等においても背景を描く際に用いられるのが遠近法や透視図法、パースペクティブいわゆるパースというもので、ふた昔前ぐらいまではパースの本といえば建築関係の専門書だったが、最近ではマンガパース専門の本も出ていて、1冊単位でのマンガの描き方本では説明しきれない痒い所にも手が届くようになっている。誤解が生じないようにマンガ家を目指す人達にきっちり説明するとなると、やはり丸ごと1冊パースに費やす位の分量になってしまうかと思うが、それを根底から覆す端的な解説があったのでご紹介しよう。昭和60年、4年の学習6月号付録、『イラスト まんが かき方大百科』学研刊から、遠近感の出し方という項目。

●遠近感をつけてかこう

「遠近感」なんてむずかしい言葉だけど、早く言えば、遠くのものは小さく、手前のものは大きくかくこと。下のように、遠くへ行くほど木が小さくなって、ずっと向うにあるように見えるね。ワリとカンタンなんだ。


 なあんだ、こんなにカンタンなことだったんだ、これで背景がにがてという人もあんしんだね! さあこれできみも今日からレッツエンジョイ背景!!

 ……終われるか!!

 それでは最後に聞きたてほやほやの背景に関するエピソードをご紹介しよう。これはある方(みなもと太郎)から伺った話だ。ながやす巧は『壬生義士伝』(図11)の中で江戸末期の大阪の街並みを描くに際し、まず現地に赴き、現在の街並みを実際に眺め、頭の中で現在ある建物をひとつずつ消してゆき、当時の地形を頭の中に叩き込んだ上で、それを絵にしたそうだ。ネット等便利な物のおかげで、現在は実物を見ずとも作画が可能ではあるが、出来る限り描く対象物に迫るという姿勢は見習うべきだと思う。だが流石に100年前の背景を脳内で構築するとは、達人技の域。成し得るのは、ながやす巧か赤毛のアンぐらいであろう。

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壬生義士伝

(図11)浅田次郎:原著、ながやす巧:作『壬生義士伝』1巻、集英社刊。

文責/上野顕太郎

上野顕太郎/1963年、東京都出身。マンガ家。『月刊コミックビーム』にて『夜は千の眼を持つ』連載中。著書に『さよならもいわずに』『ギャグにもほどがある』(共にエンターブレイン)などがある。近年は『英国一家、日本を食べる』シリーズ(亜紀書房)の装画なども担当。「週刊アスキー」で連載していた煩悩ギャグ『いちマルはち』の単行本が発売中

※次回は1月上旬に掲載の予定です。

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