「真珠湾攻撃」を描いた映画をひも解く【後編】

 12月8日と言えば何の日か知っているだろうか。ジョン・レノンの命日?  いやいや、もっと昔、歴史の教科書を思い出してほしい。  そう、12月8日は、1941年の大日本帝国海軍によるハワイ・真珠湾に対する奇襲攻撃が行なわれた日なのだ。 「なーんだ。70年以上も前の話じゃん」と言いたくなる気持ちは分かるが、自分には何の関係もない過去の話と侮ってはいけない。  現代の状況ともしっかりリンクしているからだ。以下、これからご紹介する映画からその一端を示そう。 ⇒【前編】はコチラ ◆円谷英二作! ミニチュアを使った特撮がスゴい!
「ハワイ・マレー沖海戦」('42)

「ハワイ・マレー沖海戦」('42)

ハワイ・マレー沖海戦」(’42)は、海軍省の命令により東宝映画が製作した、戦意高揚を目的とした国策映画。  今となっては貴重な実物の戦闘機が大量に出て来るのでマニア垂涎の作品として知られる。  戦後GHQが本物の記録映像と見間違えたという、円谷英二のミニチュアを多用した特撮が最大の見せ場で、ラストは勇ましい軍艦マーチで終わるのだが、この高揚感と士気に満ち満ちた雰囲気は、当時の世相を把握しないことには分からない。  文芸評論家の小林秀雄は、ラジオで宣戦の詔勅を聞き「比類のない美しさを感じた」「やはり僕等には、日本国民であるといふ自信が一番大きく強いのだ」と記し、作家の伊藤整は「『いよいよ始まりましたね』と言いたくてむずむずする」「我々は白人の第一級者と戦う外、世界一流人の自覚に立てない宿命を持っている」と興奮気味に綴った。つまり、国民の圧倒的な支持と熱狂があったのだ。  弱肉強食の帝国主義の時代でもあり、欧米列強への対応が国運を左右した。  戦争そのものの善し悪しはさておき、当時の知識人や一般人の受け止め方は非常に重要だ。  作家の保阪正康氏は、「しかし、今、その時の『解放感』を表現するのは、何か罪悪感をともない、憚られる雰囲気がある。開戦時の姿は、間違いなく素直な日本人の国民性が現れていると思うのだが」(「あの戦争とは何だったのか」新潮新書)と書いたが、この頃の国民がアメリカに対して持っていた鬱屈感は、様々な証言や手記に目を通さなければなかなか分からない。 ◆戦時中につくられた、敗戦を予感させる異色作
「雷撃隊出動」('44)

「雷撃隊出動」('44)

 併せて鑑賞をお勧めしたいのが「ハワイ・マレー沖海戦」の2年後に製作された(※続編ではない)同じ国策映画「雷撃隊出動」(’44)だ。  戦闘機が不足して出撃できない、度重なる空襲で防空壕から出られないなど敗戦の気配が濃厚な異色作で、最後の最後に戦闘機による「体当たり攻撃」により、アメリカに甚大な被害を与えるというオチだが、奇しくも12月7日に公開されている。第1号の神風特攻隊がすでにこの年の10月に編成されており、その後の悲惨な結末を予感させるものがある。この2作の落差を見れば山本五十六の予言通りアメリカとの戦争が「1年しかもたない」と言った言葉の重みが伝わって来るだろう。  蛇足ながら、そのほか日本映画で真珠湾攻撃を題材にした作品に「ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」(’60)、「連合艦隊」(’81)などがある。最近では、フルCGで再現した「聯合艦隊司令長官 山本五十六  太平洋戦争70年目の真実」(’11)という作品もあった。  と言っても、真珠湾攻撃は、3年8か月にわたる太平洋戦争(大東亜戦争)の1コマに過ぎない。映画を楽しみつつ、歴史の1ページを紐解くのも悪くはないだろう。 文/真鍋 厚(鬼畜映画ライター)
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ハワイ・マレー沖海戦

円谷英二が手掛けた特撮が高い評価を得た戦争スペクタクル

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