『ドルフィン・ソングを救え!』の樋口毅宏がプロレス小説の連載を開始「レスラーはみんな、太陽だよ」
『Number』が十数年ぶりにプロレス特集を組み、人気レスラーの写真集が続々刊行。プロレス好きの女子=“プ女子”が急増中と、いまプロレスブームが再燃している。そんな中、『ドルフィン・ソングを救え!』が絶好調の小説家・樋口毅宏が、プロレスを題材にした小説「太陽がいっぱい」を12月8日発売の『週刊SPA!』で連載開始した。
デビュー作『さらば雑司ヶ谷』では結果的に「小沢健二復活」を予言する格好となったが、今回の「太陽がいっぱい」はプロレスブームのさらなる過熱を予見しているのか……? なぜいまプロレスなのか、本人に直撃してみた。
樋口:……いや、ブームとか正直関係なくて。まあプロレスファンとしてさらに盛り上がることはうれしいことだけど。前に西加奈子さんが直木賞を受賞したとき、会見で「プロレスに感謝」って言っているのを読んだんだ。で、「プロレスって感謝だけじゃないだろ」って、なぜかカチンときたんだよね。プロレスは強さ、暴力への憧れ、狂気、怨念、闇、影、楽しさ、鍛えられた肉体によるショー、バカ、笑い、艶、喜び……ありとあらゆる感情が込められている。それを自分が証明したいと思ったんだよね。西さんにそんなつもりはないとわかってはいるんだけど、何て言うのかな、そういう八つ当たりというか、やけのヤンパチパワーって大事なのよ。許して。
ところでこの「太陽がいっぱい」というタイトル。多くがアラン・ドロンの映画を思い浮かべるが、樋口氏はどういった思いを込めてこのタイトルを付けたのだろうか。
樋口:プロレスラーはみんな、太陽なんだよ!……とテキトーなことを言ってみる。アラン・ドロンの同名の映画があるけど、むかし『週刊プロレス』で小説を連載していたことがあって、それもタイトルが「太陽がいっぱい」だったことをこないだ思い出したよ。当時読んでいないんだけど、どうしよ似てたら? 俺、パクリストだから、その辺は正直だからなあ。剽窃じゃないからね!
「太陽がいっぱい」で描かれているのはプロレス界に身を置く“男たちは哀愁”。レスラーはリング上でただただ肉体をぶつけ合うだけの存在にあらず、それぞれがまさに“物語”として訴えかけてくるのだ。
樋口:「プロレスとはゴールのないマラソン」とは武藤敬司の名言だけど、プロレスに物語を見出せなくて、プロレスラーに人生を託せなくてどうするのよ。知ってる? プロレスが人生に似ているんじゃなくて、人生がプロレスに似ているんだよ。開高健は生前、言ってたよ。「プロレスは、虚の中にこそ実があり、実の中にこそ虚がある。大人が楽しむ芸術だ」って。その通りだと思う。そしてプロレスは、それだけでは言い切れない魅力に溢れている。どうして今まで書かなかったのかなあ。プロレスが地盤沈下していたときに、魅力を見出せなくなっていたんだよなあ。プロレスを再び観るきっかけをくれた、オカダ・カズチカ選手に感謝します。
“プロレス小説”と言うと、「プロレスファン向けのマニアック作」と思われがちだが、決してそうではない。もちろんファンのマニア心をくすぐる小ネタを多数忍ばせながら、ファンでなくても誰もがアツくなれる“漢”がそこにはいる。
樋口:プロレス好きは、えーっと……こっちのほうがうるさいんだよなあ(笑)。「あのレスラーをモデルに描いているけど、あの事実が抜けている」とか、言ってきそう。でもそうやって、それぞれが楽しんでくれたらいいなと思う。そういえば『タモリ論』のときも、自称“お笑いにうるさい人”ほど厳しかったもんなあ。プロレス好きではない人には、この本をきっかけに、実際のプロレスに興味を持って、会場に足を運ぶようになってもらえたらうれしいな。そのときはビールでもおごってよ!
樋口毅宏渾身のプロレス小説「太陽がいっぱい」。まず最初は全5話で描かれる「ある悪役レスラーの肖像」編。「ある悪役」とは誰なのか? ひとまず『週刊SPA!』を手に取り、確かめてほしい。そして気づいたときには、あなたは涙を浮かべていることだろう。
ひぐちたけひろ●‘71年、東京都生まれ。’09年に『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。新刊『ドルフィン・ソングを救え!』(マガジンハウス)が発売中。サブカルコラム集『さよなら小沢健二』(扶桑社)が12月13日発売。そのほか著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』など話題作多数。 なかでも『タモリ論』は大ヒットに。
<取材・文/週刊SPA!編集部>
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