一流商社マンから生活保護寮へ。それでも「商社時代よりマシ」と言う深刻理由
大きな夢や希望を抱き、高学歴で一流企業に勤めたとしても報われないことだってある。それどころか、一歩間違えば貧しい生活を強いられることもーー。
「若い頃に湾岸戦争のニュースをテレビで見て、戦争によって難民がたくさん生み出され、食うや食わずの貧困生活を強いられている人が、世界には何万人もいることを知りました。外国語を勉強して、彼らのために役立つ仕事をしたいと思っていたんです」
大阪府内の進学校を卒業し、迷うことなく東京外大に進学。在学中も、有志たちと東南アジアや中東を旅し、屋根もないような広場で子ども達に英語を教えたり、彼らの写真を撮影・販売したりして、義援金を送る活動などを続けた。
そんな花島さんが就職先に選んだのは、業務で途上国支援も行うという「一流商社」だった。しかし、あまりに美しい夢を持っていた花島さんに、現実が牙を剥いた。
「配属されたのは途上国支援とは無縁の部署。国内デパートの輸入品の仕入れをするのが主な仕事で、毎日深夜まで、得意先との飲み会をこなさなければなりませんでした。接待を受けたり、“使ってください”と車の鍵をプレゼントされたりすることもありました」
最初こそ楽しかったが、次第に虚しさに襲われた。そして、花島さんの人生を狂わせる、決定的な出来事が起きた。
「国内の大手スーパーで扱う食肉輸入の仕事に関わったとき、ベトナムに出張したんです。そこでは、現地の人を1日300円程度の報酬で雇い、食肉の加工を行わせていました。仕入れ値を下げるために、彼らの給与を下げるというのがミッション。途上国の支援をしたかった私が、彼らから富と労働を搾取し続けることに嫌気がさして…うつ病になってしまいました」
こうして業務遂行が難しくなった花島さん。日本に呼び戻されると、出世コースから外れた閑職に左遷された。もともとはあまり飲めなかった酒に頼るようになり、体も崩したところで、会社から無情にも退職勧奨をされてしまった。
「仕方ありません、会社には月に2~3日しか行けなかった。その後、少しだけ実家で暮らしましたが、漫画喫茶を転々とするようになり、結局、施設に入りました」
東京都三鷹市の灼けた喫茶店に現れたのは、生活保護受給者向けの寮で生活する花島芳彦さん(50代・仮名)。髭面に、破れたジーパンと黄ばんだシャツという風貌だが、こう見えて東京外国語大卒、有名商社マンだった「元エリート」である。その半生に何があったのか。
仕事が原因でうつ病を発症、退職勧奨された
1
2
新聞、週刊誌、実話誌、テレビなどで経験を積んだ記者。社会問題やニュースの裏側などをネットメディアに寄稿する。
記事一覧へ
記事一覧へ
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ