読モギャルのその後。妊娠、出産、シングルマザーに…
ギャル雑誌の復刊などが話題になる昨今。SNSでの情報発信が中心となる以前、いわゆる雑誌全盛期には、多くのギャル雑誌が誕生した。そこで活躍していた“読モ”(読者モデル)たちはいったい、どこに行ったのか。もちろん、現在もメディアに登場する人たちもいるが、そのほとんどが姿を消した。
実は、華やかな世界を知ってしまったがゆえに、その後、人生の歯車が狂ってしまったという女性も中にはいるのだ。
神奈川県某市の市営団地に住むミホ(仮名・20代後半)は、小学生と幼稚園児の子を持つシングルマザー。古びたジャージに、ピンク色でロゴのかすれたTシャツという出で立ちは、田舎の元ヤンママを彷彿とさせる。
しかし、どすっぴんのノーメイク顔をよく見ると、綺麗な二重の目にすらりと伸びた鼻筋で、化粧映えする顔に違いないことがわかる。
「うち、こう見えてもモデルやってたんですよ(笑)。『A』の雑誌モデル、2年くらいだけど」
『A』は、数年前まで出版されていたギャル雑誌だ。『A』の読者モデル出身で、その後は一流雑誌のモデルに引き抜かれたり、テレビタレントに転身したり、今でも活躍する女性はいる。
今も輝き、第一線で活躍する彼女たちと比べれば、ミホの置かれた現状はといえば、悲惨というほかない。
「長男の時は、旦那にバックレられて……。その後キャバで働いたけど、だんだんシフトに入れてもらえなくなって、良くしてくれてた客と関係もって次男が生まれたけど、そいつは妻子持ちだった。裁判しようと思ったけど、勝てるわけないって聞いて。いまは実家の団地で暮らしながら、地元のスナックで働いてる。ママもシングルで、今は病気で働けないから生活保護。もう、お先真っ暗って感じ」
高校二年の17歳の時に都内のイベントに出かけ、雑誌編集者に声をかけられたことがきっかけで読者モデルデビューを果たしたミホ。
プロのモデルとは違い、ストリートスナップに出て数千円、ファッション企画ページに出ても一万円ほどしかもらえなかったが、ミホの噂は瞬く間に地元に広がった。
「マジでうちの絶頂期だと思う。学校では神扱いで、地元の服屋から一日店長やってくれとか、アパレルブランドの広告に出てってお願いされたり。撮影で一緒になった横浜のイケメンと付き合って同棲もしてた。モデルとしての収入は月20万円とか。まわりよりかは良かったから。タレントなろうかなーって、マジで思ってた(笑)」
当時、ミホが取り上げられた雑誌の企画には、“大型新人”とか“期待のニューフェイス”といった文言が踊り、ビキニ姿の写真がドカンと1ページに掲載されたこともあったという。
「それまでは田舎の半端ギャルだったけど、一気に世界が変わったって感じ。電車の中で写真撮ってとか、サインしてとか握手してとかね」
ただ、天狗になっていたのかもしれない。ルーズな性格から朝の撮影に寝坊してしまったり、ひどい時は飛んでしまう(ドタキャンする)こともあったが、それでも編集者はミホを使い続けた。ミホは読者アンケートで人気があったからだ。
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