三陸地方に伝わる防災法「津波てんでんこ」とは?
―[先祖伝来の[大津波伝承]に学べ]―
東日本大震災で多くの人の命を救ったとされる先祖代々語り継がれてきた大津波伝承。そこで、小誌取材班が全国各地に今なお残る大津波にまつわる言い伝えを徹底調査。実際に現地を訪れ、風化しつつある先人たちの津波警告をリポートする!
◆文字と縁のない庶民のために伝えられた津波にまつわる昔話
昔話や伝説は、昔から一般庶民の間で語り継がれてきた。その理由を伝承文化に詳しい國學院大學准教授の花部英雄氏が語る。
「明治時代に入り小学校教育が始まるまでは、地方では文字の読み書きができる人は少なく、書面でやり取りする風習もありませんでした。このような地方で災害時の知恵や経験を老若男女にわかりやすく伝えるには、昔話のような物語にしたり、短い“俗信”にしたりという工夫が必要だったのです」
俗信とは「夕焼けが出ると明日は晴れ」などの短い俗説のこと。農村や漁村で暮らす人々にとって自然はより身近なもので、特に自然災害への対策や知恵は重要。口述でさまざまなものが伝えられている。
「例えば愛知県には『キジが鳴いたら地震が来る』という俗信があります。このキジと地震の関係に科学的根拠はありませんが、岩手県でもキジから生まれた『キジの子太郎』という昔話を通し、キジが鳴くと地震が来ることを伝えています。各地方には、このような口伝が今もなお根付いているのです」
今回の被災地にも「津波てんでんこ」や「みちびき地蔵」といった話が存在。風化されずに残り、多くの人の命を救ったにちがいない。
<昔話や伝説で伝わる日本全国の津波伝承>
●キジの子太郎物語(岩手県や島根県など)
優しく勇敢なキジから生まれたキジの子太郎が鬼退治に行く物語。帰りの船上で、戦利品の「鬼の肝」を誤って海に落としてしまうと、キジの子太郎は肝を探しに海に住み着く。それ以来、海に津波などの変化が訪れると鳴き声で人々に知らせてくれている
●みちびき地蔵(宮城県気仙沼市)
気仙沼市の山には死ぬ前に人々が必ず訪れる「みちびき地蔵」がある。ある日、親子が偶然、その地蔵の前を通ると、知った顔の村人たちが次々と地蔵の前に現われた。不審に思い山を下りて家に帰ると、程なくして大津波が村を襲い、多くの村人が犠牲になった
●津波てんでんこ(三陸地方一帯)
昭和の三陸津波のとき、娘を置いて逃げた父親が家族から非難された。だが、この父親は明治の三陸津波で妹を抱えた母親を亡くした経験から、津波のときは「てんでんこ(バラバラに逃げる)」で共倒れを防ぐべきだとした。今もこの考えが三陸地方に伝わる
●稲むらの火(和歌山県有田郡広川町)
安政南海地震をベースにした物語。村の高台に住む五兵衛が唯一津波に気づき、村人たちに危険を伝えるため、収穫したばかりの稲に火をつけた。村人たちは火事だと思い高台に集まると、眼下の村を大津波が襲った。五兵衛の犠牲精神が皆を救った
●瓜生島伝説(大分県大分市)
安土桃山時代、大分港沖に浮かぶ人口5000人の瓜生島が地震による津波や地盤沈下で1日にして沈んだ。このとき、島にあった神像の顔が赤くなり、その変化から危険を察知した者だけが島を去り生き残ったという。瓜生島が実在したか否かは諸説あり、現在も調査中
●ユナタマ(人魚)伝説(沖縄県一帯)
ユナタマとは人魚のような神聖な魚のこと。ユナタマを捕ることは禁じられていたが、ある男がその禁を犯し、ユナタマを食べようとした。すぐさま男が住む島は大津波にのみ込まれた。沖縄本島のほか八重山や宮古などの離島にも同じような話が伝わっている
【花部英雄氏】
’50年生まれ。國學院大學文学部准教授。日本昔話学会理事、日本民俗学会理事などを務め、各地の昔話に詳しい。著書に『昔話と呪歌』(三弥井書店)ほか
― 先祖伝来の[大津波伝承]に学べ【6】 ―
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