大津波伝承ハザードマップ【東日本編】

東日本大震災で多くの人の命を救ったとされる先祖代々語り継がれてきた大津波伝承。そこで、小誌取材班が全国各地に今なお残る大津波にまつわる言い伝えを徹底調査。実際に現地を訪れ、風化しつつある先人たちの津波警告をリポートする! ●身代わり地蔵(北海道乙部町)
ハザードマップ

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1741年、北海道乙部町の村人が盆踊りを楽しんでいると、山の上の地蔵が手招きをしている。村人が地蔵のもとに行くため山を登っていると、大津波が村を襲った。だが、犠牲者はひとりも出ず、その代わりに地蔵が姿を消していたという。日々、地蔵の身の回りの掃除をしてくれていた住民に対し、地蔵が恩返しをしたと言われている。現在、その山は「地蔵山」と呼ばれている ●「此処より下に家を建てるな」の碑(岩手県宮古市) 本州最東端の灯台から南西2㎞という沿岸部にある宮古市姉由地区の石碑。〈高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな〉と書かれ、「高地に住めば津波の被害に遭わず子孫と共に笑える」と言い伝えられてきた。明治と昭和の三陸大津波で甚大な被害を受けた同地区では高所移住が徹底され、この石碑より下に住居は一軒もなく、今回の大津波も難を逃れた ●元禄海嘯菩提地蔵尊(千葉県安房郡鋸南町) 千葉県は太平洋岸が今回の地震でも大きな津波災害を受け、歴史上も被害の記録が多いが、東京湾に面する鋸南町にも津波の伝承が存在。1703年の元禄大地震の津波による死者を合祀した地蔵尊が別願院にある。ちなみに、隣接する富山町には、津波災害後には遺体の頭や手足を野犬が食いちぎって咥え、走り回っていたなどという恐ろしい記録も残っている ●河童大明神(神奈川県横須賀市) 三浦半島・横須賀市内の走水神社の裏手に奉られる河童大明神についての伝説が、地元の民話などを古老たちから聞き集めた『観音崎物語』に記されている。地元の住民に迷惑をかけ続けた河童たちが、この地が地震と津波に襲われた際に堤防を造り、津波を押し留めて村民を守ったというもの。だが、あまりの津波の大きさに河童たちはすべて死んでしまったという ●元禄地震津波供養塔(静岡県伊東市) 1703年の元禄大地震で甚大な被害を被った伊東市では、付近の寺院内に計4基の地震津波供養塔があり、その被害の大きさを偲ばせる。そのうちの一つが伊東市宇佐美にある行蓮寺の碑文。元禄大地震の70年前に同地を襲った寛永地震の津波と比較し、津波の到達時間が早かったことなどを教訓として記しているほか、寺の石段中腹には関東大震災時の津波到達点を示す石碑もある ●津なみ塚(静岡県下田市) 1854年、下田を襲った安政大地震の津波で亡くなった死者を弔う供養塔。市内の稲田寺に建てられているが、具体的な教訓などは記されていない。下田を襲った津波では、ほとんどの家屋が流失して壊滅的な被害を与えたとされている。また、幕末に日本の開港と北方領土の画定交渉に訪れていたロシア船籍のディアナ号が津波で42回転したとも伝えられている ●要石神社(静岡県沼津市) 近い将来に起こると予測される東海地震で静岡県内の津波の人的被害が7割以上集中するとされている沼津市。海岸線の松林の中に残された要石神社の要石は、石の根が社殿下を通って大きく広がっており、安政大地震のときにもこの地だけ災害を免れたと言い伝えられている。こうした要石伝説は、すべて地震の神様が祀られている茨城県鹿島神宮にある要石に由来している ●亀島(静岡県沼津市) 沼津市の内浦九連の沖に浮かぶ亀島は本来、半島の突端だった地域がいつのものかわからない大地震によって半島のほとんどが水没。孤島となって残ったと伝えられている。同様の伝承としては、浜名湖があり、1498年の明応地震で襲った津波により海と繫がり、現在の汽水湖となったと言われている。ちなみに、その津波の際に引っ越しを余儀なくされた村が現在の浜松市西区村櫛町だ ●鹿島神社(静岡県牧之原市) 全国各地にある地震と津波除けの神様と言われる鹿島神社のひとつ。同神社のご神体は石であり、かつての大津波によって海から打ち上げられた石だと言われているが、いつの津波によるものかは不明。また、牧之原市の市街地やほとんどの行政機関は、この石よりも海側に集中しており、伝承どおりであれば、東海地震発生時の津波被害が不安視される ― 先祖伝来の[大津波伝承]に学べ【3】 ―
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