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箱根駅伝”走る小栗旬”の現在は? 記憶に残るスーパーランナーたち

 第98回箱根駅伝(2022年1月2、3日)まで残りわずか。
箱根駅伝

※写真はイメージです

 注目は、各大学のエースランナーの走りである。優勝候補の駒澤大学には3年生ながら大エースとしてチームを引っ張る田澤廉がおり、10月に開催された出雲駅伝で初優勝した東京国際大学には、歴代最強留学生と呼ばれるイェゴン・ヴィンセント(3年)がいる。その他、東京五輪男子3000m障害で7位入賞を果たした順天堂大学の三浦龍司(2年)や青山学院大学のエース・近藤幸太郎(3年)といった面々からも目が離せない。  過去の箱根駅伝を振り返っても、大会前から期待され、走りで我々を魅了してくれたスター選手は少なくない。今回は、当時活躍した彼らの功績と現在を紹介したい。

柏原竜二(東洋大→富士通→現役引退)

 駅伝ファン以外でも、彼を覚えている人は多いはずだ。  東洋大学1年生だった2009年の箱根駅伝5区で、4分58秒差あったトップとの差を逆転。破られることはないと思われていた今井正人(順天堂→トヨタ自動車九州)が2007年に打ち出した区間記録を47秒更新し、「2代目 山の神」として世間を賑わせた。  柏原は4年連続で5区の山登りを走り、計3回の区間新記録を樹立。全てのレースでトップに立ち、東洋大学を計3度の総合優勝に導いた立役者でもある。  卒業後は実業団の強豪・富士通に入社。箱根同様の活躍が期待されたが、アキレス腱の故障などに苦しめられ、かつての華々しい活躍をすることなく2017年に引退を発表した。引退後は同社アメリカンフットボールチーム「富士通フロンティアーズ」のマネージャーに就任し、現在は解説者として活動している。

佐藤悠基(東海大→日清食品→SGホールディングス)

 中学時代から頭角を現し、高校駅伝の強豪・佐久長聖を経て2005年、東海大学に進学した佐藤悠基。  4年間で3度区間記録を更新した彼のレースでもっとも記憶に残っているのは、2007年の第83回箱根駅伝である。1区を任されスタート早々に集団を飛び出すと、途中、足が痙攣したにもかかわらずトップで襷を渡した。ちなみに、同レースでは2位と4分1秒差をつけ区間新記録を樹立。実況を務めていた日本テレビの新谷保志氏が「空前絶後の区間新記録!」と絶叫したのは、駅伝ファンならば覚えていることだろう。マラソンや駅伝で従来の記録を大幅に塗り替える選手が続出しているが、その要因と言われる『ナイキ厚底シューズ』が台頭した今でもこのタイムは破られておらず、まさに空前絶後の記録なのだ。  大学卒業後に入社した日清食品でも長らくエースとして君臨し、2011年の世界陸上競技選手権大会では10000mの日本代表に選出された。度々挑戦しているマラソンでは期待どおりの活躍はできていないが、35歳になった今も現役選手として活動し、先日行われた福岡国際マラソンではペースメーカを務めている。今後も活躍が期待される選手の1人だ。
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上野裕一郎の現在は?
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学生スポーツ、野球、旅行、麺類を愛するライター。福岡ソフトバンクホークス・井上朋也の大ファン
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