更新日:2024年04月05日 18:30
スポーツ

「これじゃあ高校野球じゃねえかよ!」選手たちからの猛反発を受けながらも、広岡達朗が“管理野球”を貫いた理由

『92歳、広岡達朗の正体』

『92歳、広岡達朗の正体』が3月14日に発売

現役時には読売ジャイアンツで活躍、監督としてはヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた広岡達朗。彼の80年にも及ぶ球歴をつぶさに追い、同じ時代を生きた選手たちの証言や本人談をまとめた総ページ数400の大作『92歳、広岡達朗の正体』が発売前から注目を集めている。 巨人では“野球の神様”と呼ばれた川上哲治と衝突し、巨人を追われた。監督時代は選手を厳しく律する姿勢から“嫌われ者”と揶揄されたこともあった。大木のように何者にも屈しない一本気の性格は、どこで、どのように形成されたのか。今なお彼を突き動かすものは何か。そして何より、我々野球ファンを惹きつける源泉は何か……。その球歴をつぶさに追い、今こそ広岡達朗という男の正体に迫る。 (以下、『92歳、広岡達朗の正体』より一部編集の上抜粋)

西武ライオンズ時代、選手たちに課した“食事改善”

八一年オフ、四九歳の広岡達朗は満を持して西武の監督に就任。最初に取り組んだのは選手たちの食事の改善だった。疲労回復を促進するアルカリ性の食材を多く摂り入れることを厳命した。当時、あまりに先鋭的だった食事改善について広岡達朗はこう語る。 「年によって必要な食べ物も違うし、考え方も違う。大人になるための素材を大地の神様が作っているという考えで、二〇代までは動物性タンパク質を摂って身体を作り、三〇になったらそれらをできるだけ減らしていく。四〇代以降は動物性タンパク質を摂らず、野菜や果物を食べて長生きする。これが『自然の法則』なのだ。ヤクルト時代もそうだったけど、こうした自然の法則にできるだけ逆らわないよう指導しただけ」 今では中学生でも、徹底したカロリー計算のもとバランス良く食事を摂る〝食育〟を行うことが基本となっている。 だが、当時は無法状態だった。一晩でどれだけ飲んで食った かが武勇伝のように語られた。水島新司の伝説の漫画『あぶさん』のように、二日酔いで ホームランを打つ選手が破天荒として人気を得た時代だ。テレビの世界でも、情報バラエティー番組『久米宏のTVスクランブル』(八二〜八五年)に天才漫才師の横山やすしが酒を飲んで出演していたくらいだ。観ているぶんには面白かったが、すぐさま降板となった。そりゃそうだろう。今なら絶対にできない。
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東尾修、田淵幸一…西武のベテラン陣からの反発
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1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

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嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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