更新日:2024年07月31日 15:44
お金

月60万円稼いだ45歳元パチプロ。「闇スロ」との出会いが“破滅の序章”に…

 朝から晩までパチンコやパチスロを打ち、勝ち金で生活をするパチプロ。20代ならまだしも、30代、40代となるにつれ、世間の風当たりの強さに足を洗う者も多い。気ままな稼業の代名詞とも言われる彼らは、一体どんな人生を歩んでいるのだろうか。

田舎のヤンキー、パチスロに出合う

パチスロ

写真はイメージ(以下同)

 パチプロ界における“二刀流”といえば、誰もが「パチンコとパチスロ」と考えがちだが、彼は表と裏、昼は地元のホールで立ち回り、夜は闇スロ。いわゆる違法スロット店で立ち回りシノギを削ったという。現在、九州地方のある都市で内装業を営む加藤修さん(仮名・45歳)に話を聞いた。 「高校中退して、バイク乗ったりしてブラブラしてたの。一応、働かなきゃってことで、先輩の紹介で内装屋で働いてたけど、まぁ、田舎のヤンキーの典型例だよね。そのときにパチスロ覚えて打つようになったんだ。当時は大花火とかが人気でよく打ったけど、そんなに目押しも得意じゃなかったから、今考えたら損してたなぁって。その頃はまだ誘われてたまに打つくらいな感じだったね」  その後、加藤さんは18歳になると、地元の先輩に誘われて鹿児島市内のラウンジでボーイを始めることになる。 「内装屋も社長が親分肌な人で、すごく面倒見がいい人だったから居心地はよかったんだけど、若い頃ってヤンチャしたいじゃない。それで誘われるまま夜の世界へ……ね。そこで2年くらい働いてたんだけど、今度は知り合いから東京の店で働かないかって誘われたんだ。若かったから勢いだけはあってさ、じゃあ行っちゃえ! って。六本木と歌舞伎町で都合3年働いたかな。東京出てきて初めてもらった給料をパチスロでスッちゃって、それがもう悔しくてさ。カネがないから次の給料まで何にもできないじゃない。なけなしのカネでパチスロ雑誌買い漁って、すり切れるまで読み込んだんだよ」  昼はパチスロ、夜はボーイという二足のわらじを履いた生活は若き日の加藤さんにとって、充実した毎日だったという。 「仕事終わって朝まで飲んで、そのまま開店に並んで夕方まで打って、そこから店に行って……なんてこともよくやってた。今考えるとよくあんなに体力あったなぁって。ただ、あの頃は勝ってたというよりも、あんまり負けなかったっていうのが正解かな」

トラブルで逃げるように地元へ……

 しかし、とある事情から加藤さんは地元に戻ることとなる。 「お店のコとデキちゃったことが店にバレて……。そのコは店を辞めて別の店に行っちゃったの。そしたら、そのコがオレの悪口を散々言ってたみたいで、そのことが上の人の耳に入っちゃって……。呼び出されて『テメェがテキトーなことやったから、別の店に飛んだだろうが!』ってボコボコ(笑)。結局、この一件でものすごい揉めちゃって、逃げるようにして鹿児島に戻ってきたわけよ」
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当時の月収は60万円超え
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グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター

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