伊良部秀輝の“遺言”「縦の変化球で勝ち続けたのは野茂さんだけ」
― 伊良部秀輝の“遺言” 【中編】 ―
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――伊良部さんが最初にメジャーリーグを意識したのはいつ頃ですか?
伊良部 中学生のときかな。テレビで、サチェル・ペイジ(※5) というピッチャーが亡くなったときの特番を見て度肝を抜かれました。長身のピッチャーで、鞭のようにしなる体。ものすごい細いんだけれど、全身を使って投げる。これはただ者ではないと。あんなふうに投げたいと思って、さんざん真似しました。ロッテに入ってからも最初の6年間ぐらいは、彼のように投げたいと思っていましたね。彼以外でも、ぼくと同じぐらいの上背のピッチャー(身長190cm)がどのように体を使うのかを研究しようとすると、日本にいないので、どうしてもメジャーのピッチャーになってしまうんです。グッデンとかクレメンス(※6)とか。
――当時はメジャーリーグの映像はなかなか見られませんでした。どうやって研究したんですか?
伊良部 雑誌の分解写真を見て、どうやって投げているんだろうって、絶えずそんなことを考えていました。
――その当時から、ヤンキースに行きたいと思っていた?
伊良部 そうですね。90年代半ばから、常にワールドチャンピオンを狙える、非常に強いチームでしたから。野球のユニフォームを着た人間ならば、ワールドチャンピオンのチームでやりたいと思うでしょ? それでぼくがヤンキースに入ったとき、グッデンとクレメンスの2人がいたんです。まさか、こんなところに自分が本当に来れるなんて……。
――伊良部さんは、158kmの速球を投げて、非常に目立つ存在でした。日本球界で最高のピッチャーの一人に数えられています。しかし、結果を見てみると、実は日米で106勝しかしていない。
伊良部 その程度のピッチャーですよ(笑)。クレメンスや(デービッド)ウェルズは、ぼくと同じような上背で球の速さも同じぐらい。でも彼らはそれぞれ300、200勝もしている。どうしてぼくがそうなれなかったかというと、答えは簡単。横の変化球がないんです。スライダーやカットボールがなかった。フォークやカーブという縦の変化だけだとある程度しか勝てないですよ。
――スライダーは今や高校生でも投げますよね。
伊良部 もちろんぼくも投げ方は知ってますし、投げられます。ただ、スライダーを投げると、手首が傾く癖がついてしまって、次のストレートの球速が落ちてしまう。だから試合中は使えなかった。スライダー、シュート、ツーシームといった横の変化球を投げられるピッチャーはコンスタントに勝っていける。縦の変化だけで、長く勝ち星を積み重ねたピッチャーって野茂さんだけ。
――158kmのストレートがあっても駄目ですか?
伊良部 1試合120球のうち、全力投球できるのは、せいぜい20、30球しかないんですよ。もし、体力がもって、全部158km投げられたとしても、プロのバッターには打たれます。緩急が大切ですから。球の速さよりも、球の出どころが見えないほうがずっと大切ですよ。
――球の出どころ?
伊良部 ボールを投げるとき、バッターから腕が見えないほうがいいんです。出どころが見えれば、球筋は読めますから。ホークスのあのピッチャー……杉内(俊哉)なんてすごいですよね。(そこまでの球速でないのに)みんなバッターが振り遅れてますものね。勝ち負けに繋がらない速球はいらないんですよ。
⇒【後編】につづく
※5 サチェル・ペイジ
1906年生まれ、野球史上最高のピッチャーの一人とされている黒人選手。ニグロ・リーグ時代、2500試合に登板して、2000勝したという伝説のピッチャー。82年6月8日没
※6 グッデンとかクレメンスとか
ドワイト・グッデン(64年生まれ)、ロジャー・クレメンス(62年生まれ)、共にヤンキースなどで活躍したメジャーリーグを代表するピッチャー。通算成績は、それぞれ194勝と354勝
取材・文/田崎健太
『伊良部秀輝ラストインタビュー』 誌面未公開部分も含めて、完全ノーカット版でお届け |
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