広島の土砂災害で生じた被災地格差の背景とは?
◆ボランティアや救助隊不足の地区も……。広がる被災地格差
※9/9発売の週刊SPA!では、「事件から見える[ニッポンの亀裂]」というワイド特集を掲載中。事件の背景にあった、または事件が生み出した「日本社会の断層」とは?
8月20日未明、広島市北部を襲った豪雨による未曾有の土砂災害に“暗雲”が立ち込めている。被害は概ね安佐南区の八木、緑井、山本、安佐北区の可部地区で起こり、それぞれ二次災害の可能性を孕んでいるが、その復旧、復興作業に格差が生じてしまっているのだ。
現場で住民の声を聞いた全国紙社会部記者が内情を話す。
「被害の深刻度は八木、緑井、可部、山本の順ですが警察、消防、自衛隊などの救助隊が死者や行方不明者の多い八木と緑井地区に集中してしまっているのです」
特に可部地区は手薄で、住民は台風や雪で起こりうる二次災害に備え、朝7時から復旧作業と土嚢作りに忙殺され、夜は避難所に泊まる生活を繰り返している。見かねて復旧作業を手伝ったという週刊誌記者が呼応する。
「行政は3000人規模で復旧、復興作業をしていると説明するが、可部地区にはボランティアすらほとんど来ていません。なにもしないマスコミが来るだけで、住民たちも『もう精神的にも肉体的にも疲労がピーク。死者や行方不明者の数での優先順位はわかるが、少しでも人手を回してほしい。老夫婦だけの家もあるので、せめてそういう家だけでも復旧を手伝ってもらえれば』と嘆き、『ほかの被災地との疎外感を大いに感じる』と不満が溜まっているようでした」
取材時も八木地区の行方不明者の捜索が優先されており、住民と行政の溝は広がったままだった。
また、調査に当たった地盤工学会団長の土田孝・広島大学教授は「住民の方々に聞く限り、土砂災害危険渓流が近接する地域への周知が十分でなかった」と、過去における住民と行政の亀裂も指摘する。
「八木地区、緑井地区は山と太田川に挟まれた地域で土砂災害危険渓流に指定されていました。このために強い雨が降れば渓流から土石流が発生する可能性があることは、ある程度予測されていたと言えます。しかし、同地域が宅地造成されたのは昭和30年代後半から40年代。その頃は高度成長期の真っただ中で経済成長が最優先されていた時代です。今ほど防災に関する制度も概念も根付いておらず、防災体制設備が整う前に手当たり次第に宅地造成が行われてしまったのです」。また、土砂災害の特別指定区域(レッドゾーン)の指定作業の遅れが裏目に出た可能性がある。
「一旦、レッドゾーンに指定されると新築や増改築に規制がかかります。事実上、新しく家が建てられなくなり、土地の資産価値が下がってしまいます。だから役所が一方的に指定できるわけでなく、住民の合意が必要なのです。利便性からの居住条件環境が良く、すでに多くの人が居住している場合どうするか。同地域は合意に時間を要し指定が進まないケースも多々あったことは確かです。現在なら渓流の下には砂防ダムを造ってから開発を行いますが、当時の背景はそうでなかった」(土田氏)
万が一、土砂災害が発生した場合、広島市は避難勧告・指示を「緊急メール」で伝達するという。だが、その配信漏れが被害を大きくした可能性も指摘される。
「緊急メールは事前登録の必要がなく、市内にいる人の携帯電話に大きなアラーム音とともに避難情報を一斉配信するもの。しかし、実際には一度も発信されたことはないといったお粗末なものでした」(全国紙社会部記者)
災害発生後に次々と明るみに出る行政の不備や住民との軋轢。被災者の不満は溜まる一方だ。 <取材・文/週刊SPA!編集部>
『週刊SPA!9/16・23合併号(9/9発売)』 表紙の人/TOKIO 電子雑誌版も発売中! 詳細・購入はこちらから ※バックナンバーもいつでも買って、すぐ読める! |
ハッシュタグ