更新日:2016年10月05日 14:48

これが最強のプロレス文学! 樋口毅宏の『太陽がいっぱい』<クラッシャー佐村編>を特別無料公開

 次のシーズンが始まる直前、佐村の家の前に外車が止まった。短軀の男が格子戸の玄関を叩き、押し入るように入ってきた。 「なんで電話出えへんの? カネなくて止められとるんかいな? それよりな、きょうはええ話を持ってきたで。ワイはもう頭に来た! 真日辞めて新団体を作るよ。フジがバックに付いてくれる言うてるし、佐村はん、あんたをトップに据えたるわ! カルロス麒麟と死闘を演じた男ならと、プロデューサーはんも大層喜んでくれたで。ギャラもいまの一・五倍出す。なっ、考えといてや。悪い話やないで」  本気にしたわけではないが、佐村の心は傾いた。刎頸の交わりと思っていた岸口と東村はパワー吉田と意気投合し、今後の活動に合流すると、昨日の東スポを読んで知った。ひょっとしたら、プロレス界は魑魅魍魎の住人だと知らなかったのは自分だけのような気がした。真日のリングですでに居場所はなくなっていた。  居間に戻り、押し入れから出したばかりの炬燵の中に入った。冬はそこまで来ていた。妻の目を見ずに、また団体が変わるかもしれないと伝えた。反対する声はなかった。  角界を辞めてプロレス界に転向したときのことを思い出す。先輩から「もっとカネがもらえる仕事のほうがいいだろ。おまえも一緒に来てくれよ」と頭を下げられた。その先輩はリングで受け身を取ることができないまま、半年で郷里に帰っていった。  居間のテレビを見るともなしに見る。いち時代を作った前番組はあっさりと終わり、イグアナの物真似が得意な、黒メガネの司会者による新番組が始まっていた。世の儚さはそこかしこにあると佐村は静かに思った。  新団体は嵐の船出となった。旗揚げ戦には「真日からスターレスラーが多数参戦!」と、ポスターにもシルエットの写真で掲載されていたはずが、蓋を開けてみれば二流どころの中堅レスラーしか揃わなかった。当然テレビカメラもない。給料も最初の月から遅れた。  新団体は有望株の前谷が中心となって、従来のプロレスとは一線を画す、本格路線を取ることになった。格闘技色が強く、「真剣勝負」を標榜するようになると、佐村は身の置き所がなくなり、結局彼がその団体にいた期間は半年にも満たなかった。  真日と業界を二分する老舗団体、殿堂日本プロレスから声をかけられた。麒麟と長年のライバル関係にある、ジャイアンツ河馬との抗争が始まった。といっても河馬は五十に近い年齢のため、第一線の戦いを望んでいるわけではない。社長レスラーが現場に権限を持つためにはリングに上がり続けなければならない。佐村は現役維持をアピールするには恰好な相手だった。ほどなくして麒麟と戦っていた頃ほどの痛烈な野次は飛ばなくなり、むしろ不器用な男の姿に、温かい拍手が向けられるまでになった。  いつしか佐村は試合後に、マイクを持つことが恒例になっていった。本来マイクアピールは現場を取り仕切る、マッチメイカーである河馬の許可が必要だ。ましてや殿日は古き良き王道プロレスを謳っているため、マイクアピールは、試合のみで強さを証明できない輩の邪道なやり口と見なされていた。しかし佐村の実直な人柄を買った河馬が、面白がってやらせるようになった。それは善人や常識人ほどヒールが務まるこの業界を知り尽くした河馬ならではの発想だった。 「おいカバ、おまえコノヤロ強いじゃないか。だけど俺がこのままあきらめると思うなよ。俺は生涯打倒カバだ。もっと練習して強くなる。焼肉いっぱい食って強くなるからな!」  口調こそ荒っぽいが、どこかとぼけた佐村のマイクは人柄の良さが伝わり、どの地方会場も爆笑の渦に包んだ。  師走のある日、広島で興行があった。佐村は頭を悩ませていた。明日は試合後、何を喋ろうかと。これまでも北海道ならカニ、岩手なら冷麺、名古屋なら味噌、福岡なら明太子と、御当地モノを織り交ぜてきた。広島は彼の生まれ育った山口県に近いこともあり、むかしの友人知人が大挙して応援するため、やりにくさがあった。しかも河馬とのシングルマッチで、善戦空しく負けることが決まっている。長い抗争はマンネリとなり、契約更改が近づいていた。佐村は麒麟との一戦を思い起こさないわけにはいかなかったが、河馬は麒麟と違い、セメントを仕掛けてくることなどないだろう。しかし非情な経営者であるのは同じだ。利用価値が済んだと判断すればお払い箱になる。起死回生の一発が欲しかったが、佐村はいくら頭を捻っても何も浮かばなかった。  底冷えする季節風が瀬戸内海の内側から強く吹いていた。半島特有の起伏に富んだ気候ゆえ、温暖だった日中から日暮れ過ぎにはうそ寒くなっていた。年間の降水量が少ない安芸の国には珍しく、じとじとと雨が降り続いている。佐村は夜の街をひとり、妻が編んでくれたマフラーを巻いて歩いていた。  不意に声をかけられた。見ず知らずの男だったが、親しげな風を装っていた。人前に立つ仕事だけに、珍しいことではなかった。 「佐村さん、私のこと覚えてません?」  みすぼらしい、首の細い男だった。目を合わせてしばらく記憶の糸を手繰ったが、佐村は正直に、「どちら様でしょう?」と伝えた。 「もう何年になりますかね。むかし佐村さんが真日のリングに上がっていた頃、群馬のウチの、私がいた組合に、佐村さんがいらしたことがあったんですよ」  男の目に、「まだわからないのか。みなまで言わせないでほしい」と書いてあるのを、佐村は読み取った。佐村は自分の目の奥から何かが釣り上げられるのを感じた。男は手品のタネを明かされた者が見せるような、頰が溶けそうな笑みを浮かべた。 「そうです。私です。と言っても、あのときは名乗りませんでしたね。真日の当時の営業部長の新町さんには申し訳ないことをしました」  男の目からは険が無くなっていた。これではわからないというものだった。 「今はもう足を洗いましたが、その節は御迷惑をおかけしました」  佐村は懐かしさと同時に、まだ不明な点があったが、男の語りでそれは明らかになった。 「アニキのこと、覚えてますか。アニキ。男らしい人やった」  矢庭に訛りが出る。佐村は男が素顔を見せたような気になる。 「あれからね、アニキは組のいざこざに巻き込まれてしまったんですよ」  人々が行き交う中、佐村と男はしばらく見つめ合った。 「アニキはね、あの後も佐村さんのことを応援していました。麒麟にボコボコにされたときなんか、俺が仇を取りたいとまで。“アニキ、あれはプロレスやから”といくら言っても聞かなくて……。一本気な人でした。あんな人が長生きできるわけないんです」  男が広島を訪れたのは、アニキと慕った男の墓参りのためで、三年前のきょうが命日だという。 「佐村さんが明日こちらで試合があることは知っていましたが、ここでお会いしたのもアニキのお導きでしょう。私はきょう帰ります。お身体にお気をつけ下さい」  男は雑踏の中に紛れて、見えなくなった。  時間にして三分にも満たなかった。  佐村はそのまま街の中に立ち尽くし、いつまでも消えた影を目で追い続けた。  河馬十八番のランニング・ネックブリーカー・ドロップが炸裂し、佐村はスリーカウントを許した。大歓声が上がる。佐村はしばらく起き上がらない。それは負けた者のルールで、観客に「今の技は効いた」とアピールするためだ。しっかりと受け身を取っていたが、彼は後頭部を押さえながら深いため息をついた。観客は試合が決着してもさらなる要求をしようと、手拍子と共にお約束の「マイク」コールを起こした。佐村はようやく立ち上がる。リングアナがマイクを手渡す。試合後もコーナーに立って待つ河馬に向かって、佐村は声を絞り出した。 「おいカバ、きょうは完敗だ。だけどな、ちょっと聞いてくれ。おまえとこんなに長く戦っているとな、どうもおまえのことが他人と思えないんだよ」  河馬が白い歯を見せる。観客も頰を緩ませながら聞き入る。佐村はマイクを握り直して、河馬の目を見て言った。 「これからカバのことを、アニキって呼んでもいいかな?」  会場に、割れんばかりの「アニキ」コールが起こった。  佐村はその日を境に愛される形になった。河馬と義兄弟タッグを組むようになり、ベビーフェイスに転向した。休憩前の試合が定位置になり、試合後のマイクアピールは定番となった。流浪のレスラー人生だったが、殿堂日本プロレスに骨を埋めた。巡業バスでは河馬の前の席に座り、生え抜きの選手たちからも慕われた。  テレビのバラエティ番組に呼ばれるようになった。司会者から茶化されると、困ったような、照れ臭い表情で、上手い返しひとつできない佐村は、お茶の間の好感度を上げた。  休みの日は妻と出かける。むかしのように敵意を剝き出しにされることはない。佐村の試合を観たことがない、十代のカップルからサインを求められた。 「カルロス麒麟の敵役だったって本当ですか?」  前の年に参議院議員になった麒麟は、イラク戦争により現地に人質となった日本人を解放することに成功した。男は無口な佐村に何度も訊ねたが、彼は太い眉を八の字に下げて、答えられなかった。  ジョン・ウェインの西部劇を観ている途中に、自宅の電話が鳴る。入院中の妻に代わり、佐村はプッシュホンを取る。勧誘の電話だったが無下に断れず、そのまま話を聞いた。  身体の動けるうちはと、六十三歳までリングに上がった。引退試合はおろかセレモニーもないままひっそりとリングから去った。その五年後に、妻を追うように逝った。  東京にある佐村の墓を訪れる者はいない。今は空き家の自宅にある桃の木は、春になると小さな花を咲かせている。 【樋口毅宏】 ひぐちたけひろ●1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。 出版社勤務ののち、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。 2011年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補・第2回山田風太郎賞候補、 2012年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。新潮新書『タモリ論』はベストセラーに。その他、著書に 『日本のセックス』『雑司ヶ谷R.I.P.』『二十五の瞳』『ルック・バック・イン・アンガー』『甘い復讐』『愛される資格』『ドルフィン・ソングを救え!』やサブカルコラム集『さよなら小沢健二』がある。本作『太陽がいっぱい』でテンカウントゴングを聞くことになった。 イラスト/勝亦 勇
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太陽がいっぱい

これが最強のプロレス文学

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