日本の文化 本当は何がすごいのか【第4回:松尾芭蕉と日本人】
和歌から俳諧へ
室町時代になると、和歌が衰退してきます。量的に減ったというのではなく、相変わらず盛んに詠まれますけれど、繰り返しが多くなり、人工的になって、質的に衰退したといわざるを得ない状態になってきます。宗祇(1421~1502)が連歌を興しました。これには多分に衰退した和歌の復活という意味合いが含まれていたのです。 松尾芭蕉(1644~1694)は俳句、五七五七七の七七を切って、五七五という極めて短い形態を取りました。単に言葉が短くなっただけではありません。必然的に内容も短く、狭くならざるを得ません。物語は盛り込めない、気持ちを表現できない。和歌では盛んに恋愛が題材になりましたが、恋愛の俳句がないのはそのためです。もう自然しかいえない、自然しか詠めない、ということになります。題材が狭まると、もう研ぎ澄ますしかないわけです。 その研ぎ澄まし方が松尾芭蕉のすごさであり、見事さです。それは紀行文集『おくの細道』に結晶しています。芭蕉の句を具体的に見ていきましょう。 古池や蛙飛び込む水の音 単なる池ではなく、「古池や」です。この一語によって古寺の一角とか荒れている庭園とかの空間的広がりを想起させます。それに「水の音」を添えることで、時間的広がりさえ感じさせます。自然の中の小景を詠んで自然を超えようとする意思がそこにはあります。 夏草や兵どもが夢の跡 ここには五七五という短詩型ならではの端折りが見られます。夏草の中に「兵ども」を置くことで長い歴史を感じさせ、そこが戦場であったことをイメージさせます。しかし、物語性は排除されて「夢の跡」と結んでしまいます。イメージされた戦場は源平の合戦や前九年の役、後三年の役といった具体的な戦を指すのではなく、それは終わってしまったことなのだ、と端折ってしまっているわけです。そして、終わってしまったことを人間の判断で、どちらが勝ったとかどちらが悪かったとかあれこれいってみても意味がないことなのだ、詮ない、仕方のないことなのだ、という自覚を、芭蕉は「夢の跡」の一語に込めているのです。 こういう端折り方が俳句の限界という見方もありますが、同時に五七五という短詩型がもたざるを得ない限界を超えさせるものにもなっているのです。神という言葉を使わずに神を詠んだ「神道の俳人」
閑さや岩にしみ入る蝉の声 自然そのものが自然の中に溶け込んでいるさまをつかみとって詠んでいます。ここには物語性も歴史性も何もありません。ただただ自然があるだけです。しかし、自然そのものが自然としてあるだけで感動をよぶという確信が芭蕉にはあります。それは自然信仰、神道にほかなりません。 芭蕉は「神」という言葉を使いません。でも、芭蕉はそこに確かに神を見ています。神とはいわずに神を詠む。この二重性は神道の特色です。芭蕉を神道の俳人と見る人はいませんが、芭蕉の句を豊かにしているものはそれだと私は思います。 荒海や佐渡によこたふ天河 自然を大きくつかみ取ったこの句は、まさに芭蕉の特性を示していると思います。大きな大きな自然は神の宿りを思わせずにはおきません。芭蕉は天の川に神域を見、それを詠んでいるのです。 旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる 芭蕉の最後の句です。芭蕉は老いました。体調を崩して動けなくなりました。でも、体が元気で自然に没入していたときと同じように、夢は自然の中を駆けめぐっているのです。自然の中を駆けめぐっている夢とは、霊なのです。芭蕉はいま、霊的存在、神になろうとしているのです。この精神性はまさに神道のものです。 侘び、寂、おかしみ、軽みが芭蕉の美学とされています。確かにそのとおりなのですが、自然の中に神を見、神といわずに神を詠むことでこれらの美学が実現されていることを知らなければなりません。 また、芭蕉は近代的印象派的詩人とも評されます。これも否定しません。しかし、日本の伝統的文化、自然信仰が芭蕉の中にしっかりとあって、それが五七五の短詩型を研ぎ澄ます根源になっていることを忘れてはならないと思います。 (出典/田中英道著『日本の文化 本当は何がすごいのか』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』(いずれも育鵬社)ほか多数。
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