歴史博物館は、歴史の面白さを伝えられるか(2)――幻の「国史館」構想

国立歴史民俗博物館の題字

 

日本にはさまざま歴史博物館がある


 歴史博物館の中には、近現代史の戦争をテーマにしているものもある。靖国神社の遊就館(東京都千代田区)や呉市海事歴史科学館(広島県呉市。愛称=大和ミュージアム)、また知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)などである。

 それぞれの博物館では、近現代における当時の国際情勢とわが国が置かれた立場が、映像や様々な資料から分かる工夫がなされている。

 ちなみに、森喜朗内閣の末期の平成13(2001)年2月9日、自民党の小泉純一郎氏は知覧特攻平和会館に赴き、展示されていた特攻隊員の辞世の歌を読んだ際に感極まり嗚咽した。

 そのテレビ映像は、今でも鮮明に記憶に残っている。その2か月半後、自民党総裁選に地滑り的に勝利した小泉氏は、内閣総理大臣に指名された。

 博物館の展示は、時として人の心を揺さぶることがある。

幻の国史館構想


 さて、日本で歴史の冠をつけた唯一の「国立」の博物館があるのをご存知だろうか。

 知らない人も多いので、まずは、その設立経緯から紹介してみたい。

 国立といえば、東京都台東区・上野にある東京国立博物館(略称は東博)を思い浮かべる人が多いかもしれないが、不正解だ。

 この東博の前身である東京帝室博物館は、大正12(1923)年の関東大震災で甚大な被害を受けたが、昭和13(1938)年11月に復興した。その際に、それまであった歴史課が廃止され、日本と東洋の古美術を主体とする美術館へと性格が変更され、戦後は東京国立博物館と名称を変え今日に至っている。

 一方、東京帝室博物館に代わる新たな歴史系の博物館の建設構想は、昭和11年頃より始まっており、「国史館」という名称も検討されていた。

「その後、国史館建設事業は(中略)太平洋戦争の勃発にともなう経費・物資の不足などのため、計画は立ち消えとなった」(『国立歴史民俗博物館三十年史』1ページ、平成26年3月発行)

西の民博、東の歴博


 戦後になり、いくつかの歴史に関連する国立の博物館構想が浮上しては消えたが、明治百年記念事業の機運のもと、昭和41(1966)年11月に国立の「歴史民族博物館の建設」が閣議で了解された。

 その後、民族博物館と歴史博物館は、別個に建設することが適当であるとされ、歴史博物館に関しては、名称が「国立歴史民俗博物館」(通称は歴博)となった。

 正式な組織としては昭和56(1981)年4月に創設し、初代館長には日本古代史の碩学である井上光貞が就任した。博物館としての一般公開(開館)が始まったのは、2年後の昭和58(1983)年3月からである。

 なお、もう一方の民族博物館は、大阪万博の跡地(大阪府吹田市)を活用し昭和49(1974)年6月に「国立民族学博物館」(通称は民博)として創設し、初代館長には比較文明論の大家である梅棹忠夫が就任。開館は、3年後の昭和52(1977)年11月からである。

 両者とも、国立の機関で大規模な展示スペースを持っていることから、「西の民博、東の歴博」と称されることもある。(続く)

(文責=育鵬社編集部M)





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