日本の戦争 何が真実なのか【第1回:世界が見た日露戦争】
世界の戦争史に残した大きな足跡
日露戦争以前の戦争史は、ほとんど西洋列強の勝利の歴史であった。これを変えたのが日露戦争での日本の勝利であった。 日本は極東の遅れた資本主義国として、明治維新を迎えると西洋列強に追いつき追い越すために、近代化と称する軍事化を行った。いわゆる富国強兵である。つまり、日本の近代化は、基本的には戦争という危険な状態にいかに対応するかということだった。その最初の成果が日清戦争であり、それに続く日露戦争であったわけだ。 日清戦争の場合はアジアの中での戦いだったから、それまでの歴史の連続として考えることができる。しかし、日露戦争は白人の国を相手にした初めての戦いだった。それに勝利したことは、世界の戦争史に非常に大きな足跡を残したといっていい。日本と西洋は戦争の仕方が違う
この勝利は日本と西洋との戦争のあり方の違いを非常によく示している。というのは、日本はロシアに攻め入って、サンクトペテルスブルグというロシアの首都を占領するなどという西洋的な戦争はしなかった。逆に、できるだけ自国の領土までロシアを引きつけて戦った。もちろん、旅順の戦いを初めとする大陸での戦いもあったが、陸戦にしても海戦にしても日本に近いところで戦い、あるいは日本に近い場所をめぐる戦いだった。これは日本の戦争のあり方を説明する上で重要な点である。 西洋では日本は「遅れた帝国主義国家」といわれ、日露戦争によって世界の五大国にせり上がったと評価されるが、日本は決して帝国主義ではなかったということが、日本の戦い方からは見えてくる。 帝国主義というのは、侵略した土地を植民地化し、搾取し、母国に従属させるのが常である。しかし、日本の戦争はそうではなかった。対等に相手と戦争をして、勝敗を決したらそこで終わる。勝ったからといって、相手国の領土を割譲させたり、支配地を広めたりするようなことはしなかった。帝国主義のあり方とは全く違う戦争の仕方であったわけである。もちろん賠償金は払われたが、それはあくまで戦争に対する費用の請求であって、相手国を支配するためではない。帝国主義ではなく専守防衛が日本の立場
日本が最後の帝国主義国家と見なされたのは、西洋人たちが日本を自分たちと同じような侵略国の一つに仕立てあげたかったためである。しかもそこには、自分たちの帝国主義的なあり方を隠し、その悪事には言及しないまま、日本だけを悪者にしようとする巧妙なレトリックがあった。 日本が帝国主義国家ではないことは、日露戦争を見れば一目瞭然である。ロシアには南下政策という方針があった。特に、第二次大戦の終わりに日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したことでもわかるように、彼らは明らかに日本の侵略を目指していた。日本はそれがわかっていたから、ロシアの脅威を跳ね返す方法を常に考えてきた。それが日本の専守防衛という立場であったわけである。伊藤博文を暗殺した安重根ですら日露戦争の日本の勝利を称えていた
一方、日露戦争の勝利は世界各国から高い評価を得て、西洋諸国にも大きな影響を与えた。ドイツのウィルヘルム二世は自国軍に「汝らは日本軍隊の精神にならえ」といったという。これはドイツがロシアと戦う立場にあったからの言葉だろうが、おそらくそこには「日本人ごときに負けるな」という意図も含まれていたに違いない。黄禍論という黄色人種脅威論がドイツから出ていることからもわかるように、日本の勝利によって黄色人種が力を得たことは、彼らにとって警戒すべきことだったのだろう。アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領も日本の強さに驚いて、勝利の理由を知るために陸海軍に新渡戸稲造の『武士道』を配布して読ませている。 日露戦争は、アジアの一国である日本の強さが侮れないということを欧米各国に印象づけた。これを契機にしてインドやトルコ、ペルシャ、アラブ世界などで独立運動の気運が生れてきた。中国の孫文も、イギリスから帰国する途上、多くのアラビア人やインド人が日露戦争で日本が勝ったことに歓喜しているのを見ている。インドの初代首相ネールも日本の勝利に熱狂して、夢中になって新聞を読んだといわれる。伊藤博文を暗殺した安重根でさえも、日露戦争の勝利は「千古に稀な事業として万国に記念すべき功績」だったと述べているのである。日本の勝利は列強支配下の多くの人々に希望を与えた
アジア全体が日本の勝利に沸いたわけだが、重要なことは、この戦争のやり方がアジア的あるいは日本的だったことである。日本は決して侵略しない、あるいは遠方まで出かけて行って支配するようなことはしない。つまり、帝国主義の国ではないという理解がこうした国々が熱狂した理由の中にはあったと私は思っている。 ポーランドも日本のロシアに対する勝利を非常に喜んでいる。ポーランドは、ロシア、ドイツ、オーストリアの三国によって植民地化され、分割統治されていたから、日本のやり方を見て、日本がそれらの国のようにはならないということをおそらく理解したのだろう。ロシア国境に近い村のポーランドの人々が日本の外交官に話したところでは、「ロシアは学校でポーランド語を教えさせず、土地の所有権や結婚の自由さえ与えなかったが、日本がロシアを破ってくれたおかげで、その束縛は一つひとつ解かれて、今では非常な自由な民となった」というのである。 彼らにとって、日本の勝利はそういうロシアの圧政、植民地化に対する勝利であった。勝利しても他の国を植民地化しない、ロシアのような統治下におかないという意味で、日本の勝利は列強に支配されていた抑圧された国や民族に光を与えたといえるのである。 (出典/田中英道著『日本の戦争 何が真実なのか』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』(いずれも育鵬社)ほか多数。
『日本の戦争 何が真実なのか』 日本は侵略国なのか? 古代から近現代まで、日本の対外戦争史をたどり見えてきた真実とは――。 |
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