【連載小説 江上剛】秘書・麗子と銀座の寿司屋に寄り、気づけば新宿の高級ホテルで裸で抱き合っていた……【一緒に、墓に入ろう。Vol.3】
メガバンクの常務取締役執行役員にまでのぼりつめた大谷俊哉(62)。これまで、勝ち馬に乗った人生を歩んできたものの、仕事への“情熱”など疾うに失われている。プライベート? それも、妻はもとより、10数年来の愛人・麗子との関係もマンネリ化している。そんな俊哉が、業務で霊園プロジェクトを担当している折、田舎の母の容体が急変したとの知らせを受ける。
順風満帆だった大谷俊哉の人生が、少しずつ狂い始める……
「墓じまい」をテーマに描く、大人の人生ドラマ――
長引く会議を終え、愛人・麗子の待つ部屋へと向かった俊哉。人知れず逢瀬を重ねてもう10年以上になる二人……
第一章 俺の面倒は誰が見るの?Vol.3
麗子との出会いは、相当、以前に遡る。 麗子が、支店勤務を経て企画部に配属になったのが二七歳の時だから一三年も前のことだ。俊哉は五〇歳、企画部の執行役員部長だった。 その頃、忙しさがピークだった。勤務していた四井銀行が安友銀行と合併し、四井安友銀行となった。共に財閥系銀行であり、大きな話題となったが、内部では合併実務で行員たちが忙殺されていた。死人が出るのではないかというような忙しさだった。俊哉も例外ではなかった。そこに俊哉の業務を助ける秘書的な役割を担うために配属されたのが麗子だった。 たとえ大手銀行であっても個別の秘書がつくのは頭取くらいのものだ。ほかの役員は大部屋と称する秘書チームがフォローをする。 俊哉のような執行役員企画部長という立場で秘書を配属してくれるのは例外中の例外と言えた。 人事部長は「いい子ですよ」と、まるで女衒のようないやらしさを含んだ笑みで麗子を紹介したが、その言葉に嘘はなかった。 明るく、気が利き、他人を寄せ付けないような美人ではなく、愛らしい顔立ちで、なんとも親しみやすい雰囲気を醸し出している。 たちまち親しくなった。俊哉は決して女に手が速い方ではない。ましてや五〇歳という年齢であり、妻も子供もいる。大手銀行の企画部長という責任ある立場で、部下の女子行員に手をつけたとあっては大きな問題になることは分かり切っている。 それでも麗子と関係してしまった。 思いの外、性根が緩く、いい加減なところがあるのだろう。合併実務が山を越え、ひと段落ついた時に、「お疲れ様、お礼に食事に誘ってもいいですか」と俊哉は麗子に聞いた。 「嬉しいです」と麗子は弾んだ声で答えた。 「じゃあ、何が食べたい?」 「お寿司がいいです」 たわいもない会話だ。五〇歳のいい大人が、二七歳の女性の意外なほどの子供っぽい喜びように、ぐらぐらと心が揺れた。 二人で銀座の寿司屋に寄り、日本酒をたらふく飲んだ。麗子は酒が強く、酔うということはなかった。むしろ俊哉が、日頃の疲れがたまっていたのか、酔ってしまった。 気が付くと、新宿の高層ホテルの一室で、裸で抱き合っていた。どうしてそんな事態になったのか記憶が定かでない。こんな言い方をすると無責任に聞こえるが、本当のことだ。 麗子によると、俊哉はタクシーに乗り込むと、麗子が困惑するのも聞かず強引にホテルに向かわせたらしい。チェックインも何もかも冷静に処理したようだから、麗子はまさか酔っているとは思わなかったらしい。 俊哉は、関係が出来てから麗子の方から「強引だったんですよ」と説明されたが、あれは嘘だと思う。 酔った俊哉を麗子が勝手にホテルに連れ込んだのだろう。そうに違いない。しかし、今となってはそんなことはどうでもいい。 麗子は、その後、一年も経たない間に銀行を退職した。1
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