【連載小説 江上剛】秘書・麗子と銀座の寿司屋に寄り、気づけば新宿の高級ホテルで裸で抱き合っていた……【一緒に、墓に入ろう。Vol.3】

俊哉は、麗子とはあの時以来、関係を持とうとしなかった。 リスクが大きすぎるからだ。酒に酔った一夜は、仮に許されてもその後も関係を続ければ、いずれ発覚し、問題になる。その時は、銀行内での出世は諦めることになってしまう。 下半身がむずむずして耐え難い思いがしたが、いい夢を見たと思うことにした。幸いなことに麗子も俊哉をしつこく求めたり、関係したことを問題にしようということはなかった。淡々と何事もなかったかのように振る舞った。 俊哉にとってはそれは多少不満だったが、別の見方をすれば麗子への信頼が深まったと言える。 ゲスな言い方をすれば、この女大丈夫だぞ、ということになるだろうか。 退職して結婚でもするのかと思っていたら、麗子は意外な転身を図った。銀座のホステスになったのだ。一流のクラブで一年ほど働き、自分でカウンターのバーを持った。オーナーママだ。 俊哉は、麗子が働くクラブには、一、二度しか顔を出したことはない。非常に高額で、自分の懐具合と相談したら通える店ではなかったからだ。 大手銀行の企画部長とは言え、昔と違って接待交際費がふんだんに使えるわけではない。 昔の部長や役員は、交際費を湯水のように使い、中には、その金で愛人に店を持たせて、恬として悪びれない強者もいたが、今はそんな時代ではない。 しかし麗子がオーナーママとなったカウンターバー「麗」は値段も手ごろで自分の金で行くことができた。 麗子も俊哉が顔を出してくれるのを喜んだ。 クラブ「こんな店をしていると、ウソでもいいから男の人が後ろ盾になっているというのが必要なんですよ」 麗子がグラスにウイスキーを注ぎながら言う。 「いるんだろう、これ」俊哉が親指を立てる。 「いるわけないじゃないですか。こんなブスッ子に」麗子が笑う。 「俺でいいか? 金はないけど」俊哉が冗談めかして言う。少し本気のところもあった。 「部長が? 本当ですか。うれしいな」 「部長はよしてくれよ」 俊哉は、まさか本当に麗子と関係が復活するとは思わなかった。 「私、ファザコンなんです」 麗子がベッドの中で囁いた。 嬉しいことに麗子は、俊哉に何も要求しなかった。 月に数回、「麗」が休みの月曜に、六本木にある麗子のマンションで過ごすだけだ。泊ったことは一度もない。仕事でくたびれたり、くしゃくしゃした際に、麗子の手料理を食べながら、くだらない話をしたり、一緒にDVDで映画を見たりして過ごすだけだ。 こんなのでいいのかと思うこともある。家賃も食事代も出さなければ、高価なハンドバッグも宝石も買わない。旅行なんかにも出かけない。 「俺が、麗子に甘えているだけみたいだな」 ある時、二人で部屋ですき焼きをつつきながら言った。 「それがいいの。私、ちゃんと収入があるから、俊哉さんとこうして充実した時間が持てるだけでうれしいの」 いつの間にか、麗子は「部長」から「俊哉さん」と呼ぶようになっていた。 <続く> 江上剛作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)
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