【連載小説 江上剛】病室で母が、息を引き取る間際に言ったこと……【一緒に、墓に入ろう。Vol.11】
メガバンクの常務取締役執行役員にまでのぼりつめた大谷俊哉(62)。これまで、勝ち馬に乗った人生を歩んできたものの、仕事への“情熱”など疾うに失われている。プライベート? それも、妻はもとより、10数年来の愛人・麗子との関係もマンネリ化している。そんな俊哉が、業務で霊園プロジェクトを担当している折、田舎の母の容体が急変したとの知らせを受ける。
順風満帆だった大谷俊哉の人生が、少しずつ狂い始める……
「墓じまい」をテーマに描く、大人の人生ドラマ――
第二章 母が死んだ……Vol.11
「どうした? 調子悪いのか」 小百合に聞いた。 小百合は、俊哉を見つめて「ふぅ」とため息をついた。憂鬱、ここに極まれりという表情だ。 「本当にどうしたんだ? おかしいぞ」 「あのね。どうしたらいいの?」 小百合は、弱り切った顔で聞く。 「何を?」 「あなた、聞いていなかったの?」 「だから、何を?」 「病室で、お母さんが息を引き取る間際に言ったこと」 小百合は、母の容態が急を要することになり、帰郷しなくてはならなくなった時、短大時代の友達との食事会を予定していた。それも幹事だった。 それで帰るのを渋っていたのだが、やはり思い直し、幹事を友人に代わってもらい、俊哉と一緒に帰郷した。 新幹線の中でもぶつぶつと文句の言い通しだった。何年振りに友人に会うのに残念だわ、とかを繰り返す。 俊哉は黙って聞くだけにしていた。下手に何かを言うと、何倍にもなって反撃されそうだったから。 新大阪駅で新幹線を降り、福知山線に乗り換える。大阪から京都の福知山まで行く路線だが、山陰線に連結しており、城崎温泉などに行く観光客が多く利用する。 2005年4月25日、今から12年前にこの路線で脱線事故が起き、乗員、乗客107名が亡くなり、562名が重軽傷を被るという大惨事が起きた。 非常に地味なローカル線なのに、この凄惨な事故によって不幸なことに有名になってしまった。 今でも事故現場に近づくと列車はスピードを落とすのが慣例になっている。列車が脱線し、突っ込んだマンションは解体が進んでいるが、事故の記憶は消えることはない。 不満を漏らしていた小百合も「ここね」と一言呟き、瞑目した。 三田肉で有名な三田市を過ぎると、深山幽谷と表現しても良いほどの崖に沿って列車は走る。 「おい、桜が満開だぞ」 俊哉は、小百合の機嫌を取り持とうと、窓から見える景色を見るように小百合に促した。 面倒臭そうに小百合は窓の外を見た。 「わぁ、きれいね」 急流がごつごつとした岩の間を走り抜け、急流が川岸をえぐり、大きくうねっている。列車はそのうねりに沿って走っていく。その列車の進行方向に次々と太い幹の桜が続き、今を盛りにと咲き誇っている。 「ここは桜の名所なんだ」 「どこまで続いているのかしらね」 ようやく小百合の表情が明るくなった。 「この急流を抜けた後も川の堤防に桜並木が続いているんじゃないかな。子供の頃、家族で花見に来た思い出があるから」 「そうなの?」 列車が川から離れ、田園地帯を走る。 「すごいなぁ。桜の海だ」 俊哉は感嘆の声を上げた。 川沿いの土手、山裾、尾根、そして点在する家の庭に、桜、桜、桜だ。 特に山裾から尾根にかけてはソメイヨシノと山桜が競い合うように咲き、普段は濃い緑の山を桜色に染めている。 「ホント、きれいね。海というより桜の波が押し寄せているみたい」 小百合がうっとりとした目になる。 俊哉は驚いていた。こんなに自分の故郷に桜があるとは想像していなかった。 否、あったかもしれないが、子どもの頃は、現在のように桜に感動しなかった。それは春になれば普通に咲くもので、とりわけ愛でるものではなかったのだろう。少なくとも子供にとっては。 それにしても東京に住むようになってからもたまに帰郷するのだが、気付かなかった。桜の季節に帰郷することがなかったのだろうか。 「でもあまり花見をしている様子はないわね」 窓の外を眺めながら小百合がぽつりと言う。 桜並木の下を歩く人は一人も見えない。遠くを走る列車から人が見えないだけかもしれないが、それにしても山と田園の風景を桜色に染めるほど桜が咲いているのに、人の動きが皆無なのはなんとなく不気味である。 「田舎には人がいないんだな」 少子化を憂うコメントをする。 「そうね、花だけというのは寂しいわね」 小百合がようやく窓の外を眺めるのを止めた。 ふと、あの桜並木の下を水原麗子と腕を組んで歩いている姿が浮かんできた。 満開の桜の下で、麗子と重なり合っている自分の姿。上になり、下になりしているうちに自分も麗子も大きな蛇に姿を変え、丸いボールのようになってしまう。 「あなた、桜の下には死体が埋まっているって本当なの?」 小百合の突然の質問に、妄想から離れ、我に帰る。 「梶井基次郎や坂口安吾などの小説家が桜の花の下に死体が埋まっているという作品を書いているな。また西行の『願わくば花の下にて我死なんあの如月の望月の頃』って歌がある」 「『願わくば花の下にて春死なんその如月の望月の頃』じゃないの」 小百合が眉を顰める。 「あっ、そうか」1
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