看護婦さんと親しくなる[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第16話)]

ナースステーション

「心臓外科病棟のナースステーション。ナースのお仕事は常在戦場(慈恵医大広報 高橋誠さん撮影)」

看護婦さん等の思い出あれこれ


 ボクは中学・高校が男子校、大学でも女子学生は極めて少ない学校だったので、女性と話したり、お付き合いしたりすることが苦手だった。

 テレビ局に就職してからは、さすがに女性と話す機会もあったが、そこは女子25歳定年制が敷かれていた男性社会だった。おまけに夜の盛り場といった雰囲気にもなじめなくて、足を向けることが少なかった。

 そんなわけで、いつも女性といえば特別に意識してしまう感情が抜けず、勢い、僕と普通に話しをする女性は限られていた。結婚後もこの傾向は続いた。

 それがどうだろう。入院したら多くの看護婦さんがボクの面倒を見てくれる。それが仕事だといってしまえばそれだけの話だが、それでもキチンと名前を覚え、親しく話ができた看護婦さんには親愛の情が沸く。

 内視鏡の検査に連れて行ってくれたのはSさんで、小田原出身だった。検査に行く途中、「検査は恐ろしいものではありませんよ」と言ってボクを安心させた。

 心臓外科の病棟に移ってからは室外に出るときは必ず「車いすで」と言われていた。ピンピンしているにもかかわらずスタッフのお世話になった。

 よく覚えているのは、スレンダーでメガネのIさんと、勉強した日本語で上手に話すMさんだった。確かMさんは満州はハルビンの方の出身で、満州生まれのボクには親近感があった。

「契丹(きったん)のこと、ご存じですか」などと尋ねた記憶がある。契丹は一時中国東北部(満州)を支配した民族で、アジアのパリとして有名なハルビンのキタイスカヤ通りの名は契丹に由来する。

 Mさんは退院後、何か月経ってもボクと会うと、「本当に回復しましたね」と言ってくれる。

「陰部を見せてください」


 Nさんという愛くるしい看護婦さんも忘れられない。第一回の全身麻酔手術(4月19日)で陰部に感染症が発見され、本手術は後日仕切り直しとなった。

 その2~3日後、来室したNさんに、突然「陰部を見せてください」と言われた。もちろんボクはびっくりした。

 男は「腹に一物、背に荷物」などといっても、簡単に一物は見せるものではない。しかし、ボクの場合「陰部は暗部であり患部」だった。

 連れ合いは「黴菌がうようよいたようだったよ」と見てきたように言っていたが、主治医儀武先生の説明は次のようだった。

「本日、冠動脈手術の予定であった。術中管理のため尿道バルーンが必要であり、泌尿器科が処置を行ったところ、感染があり予想より大きな処置をとった。感染・出血を考えるとバイパスの手術は日を改めた方がよいと判断した」

 そういう背景があってNさんは「陰部を見せてください」と言ったのである。

 幸い「問題なし」だった。Nさんは、ボクが本手術後のカテーテル検査で、太ももからカテーテルを挿入され、出血止めの器具を強く長時間押し付けられて苦痛と戦っているとき、深夜にもかかわらず、寝返りを打たせてくれたり、枕を調整してくれたりした。

 退院が決まった時、Nさんに伝えると「うれしい」と言ってくれた。ボクは目頭が熱くなった。

 Sさんはボクの頭を洗ってくれた。洗い方がとても丁寧で、ボクがよく行く床屋とは月とスッポンの差があった。

 手持無沙汰のボクとよく話しをしてくれたのはUさんである。体調のことなど、とても親身になって聞いてくれた。

 Aさんは背が高めの看護婦さんで、「入院診療計画」に「安全に手術が受けられるよう整えてまいります。術前術後の合併症予防に努めてまいります」と書き込んでくれた。

 泌尿器科のAさんに関しては、残尿検査の最中に、「あなたは鹿児島のご出身でしょう」と聞いたら、図星だった。

 Aさんは、薩摩藩士の家に生まれた慈恵医大高木兼寛学祖の伝記『白い航跡』(吉村昭著)の熱心な愛読者であったこと、幕末以来薩摩出身の志士、政治家等と同性だったことで察しがついた。

 こうして看護婦さんたちと親しくなり、大いに回復をサポートしてもらうことにもなる。

まさに「医師と看護婦は車の両輪」(高木兼寛学祖)である。

協力:東京慈恵会医科大学附属病院

【境政郎(さかい・まさお)】
1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。




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