【連載小説 江上剛】葬儀を終え、自分の知らなかった母の生前の事実を聞かされ……【一緒に、墓に入ろう。Vol.13】
亡くなって初めて知る、母の青春時代の日々のこと
「母さんが、お姉さんに墓を頼むって言った理由が分かったわ」 「どう分かったんだ」 「兄ちゃんが当てにできないと思ったからよ。だからお姉さんに遺言したのね」 清子が小百合を見る。 「遺言だなんて……。それ重くないですか。嫌だわ」 小百合の表情が曇る。 「遺言でしょう、あれはどう考えても。母さんは、お父さんと一緒にお墓に入りたい。仲が良かったからね。その墓をちゃんと守って欲しい。だって自分は、ずっと守ってきたんだから。母さんだっていろいろあったと思うよ。だって昔、東京に行ったことがあるって話したことがあったもの」 清子が、懐かしそうに言い、少し涙ぐむ。 「ええ? お袋、東京にいたの?」 俊哉が驚く。 「知らなかったの?」 清子の呆れた顔。 「知らなかった……。聞いたことがなかったなぁ」 俊哉は、頭の隅のどこを探しても母が東京に住んでいたということを聞いた記憶はない。 「兄ちゃんは、ほんとに何も関心がなくて、ただお勉強一筋だったからね」 「そう言うな」 「母さんはね、終戦直前の東京に行儀見習いに出されたのよ。母さんの故郷から東京に出て、出世した人がいたのね。名前は聞いたけど、忘れちゃったわ。母さん、昭和六年生まれだから、まだ十二歳、三歳の子供よ。それでも一人で行ったのね。楽しかったんだって」 清子は澄江の東京生活をまるで傍らで見ていたかのように、とくとくと語り出した。 初めて映画を見たり、芝居を見たり、デパートで買い物したりした様子。行儀見習いと言っても、東京見学みたいなものだったのだろう。 さすがに恋をしたかどうかは分からない、と冗談めかして言い、「うふふ」と笑った際には、清子の顔に澄江の顔が二重写しになった。ひょっとしたら、恋をしたのかもしれないと思わせた。澄江は半年ほど東京にいたのだが、空襲があるからと、また田舎に戻された。 「残念だったみたいね。母さんは、あのまま東京にいて、デザインか何かの学校に通って、洋裁をやりたかったって話してたわね。あの頃の、女の子って洋裁がブームだったのかも。和裁よりね」 清子は澄江の思いを想像して少し涙ぐんだ。 そして終戦。その後、俊直と見合いして結婚した。 俊哉が初めて聞く、澄江の青春だった。生きているうちにもっと関心を持って聞いておくべきだったと後悔するが、後悔はいつでも先に立たない。 <続く> 作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)1
2
ハッシュタグ
おすすめ記事