【連載小説 江上剛】母の葬儀を終え、実家の相続放棄を要求する田舎の妹夫婦に兄は……【一緒に、墓に入ろう。Vol.15】

メガバンクの常務取締役執行役員にまでのぼりつめた大谷俊哉(62)。これまで、勝ち馬に乗った人生を歩んできたものの、仕事への“情熱”など疾うに失われている。プライベート? それも、妻はもとより、10数年来の愛人・麗子との関係もマンネリ化している。そんな俊哉が、業務で霊園プロジェクトを担当している折、田舎の母の容体が急変したとの知らせを受ける。 順風満帆だった大谷俊哉の人生が、少しずつ狂い始める…… 「墓じまい」をテーマに描く、大人の人生ドラマ――

第二章 母が死んだ Vol.15

確かに故郷のことはないがしろにしていた。ほとんど帰郷しなかった。 盆正月に帰郷するのが日本の習わしと言われているが、俊哉にはまったく関係がなかった。時折、出張のついでに立ち寄るくらいだった。俊直や澄江に対して、申し訳程度に温泉旅行のチケットを贈るくらいで、自分自ら連れて行くようなことはしなかった。確かに身勝手で冷たいと言われればその通りだった。 「清子さんの言う通り。この人、本当に冷たいんだから」 小百合が突然、言い出す。 あれれ、と驚き、俊哉は小百合に視線を向ける。 「お前まで言うなよ」 俊哉は、眉を顰める。 「仕事、仕事って言って、私や子供たちのことなんかほったらかし。罪滅ぼしに、しばらく仕事を休んで、お母さんの遺骨と一緒にここで暮らしたら?」 「冗談を言うな。現役の銀行の役員が、ここで暮らせるかよ」 俊哉は、清子と小百合に責められ苦笑を浮かべるしか手段がない。「これはこれは盛りがっていますな」 突然、巨体が割って入ってきた。清子の夫、笠原健太郎だ。 身長は百八十センチはあるだろう。それだけではない。腹も出ていて、まるで相撲取りだ。清子が、こんな男を相手にセックスして、自分の体の上に乗られた場合、よく潰されないものだと思う。 高校を卒業して、地元農協に勤務したが、理事にはなっていないはずだ。俊哉と同い年の六十二歳。今は再雇用で、農協の信用事業、すなわち信用組合に勤務している。 巨体からイメージするようなおおらかさはない。どちらかと言うと、愚痴っぽく、金に慾張りな一面を見せることがある。俊直の葬儀の時、「この家、どうするんですか。兄さん」と聞いて来たことがあった。まだ澄江が住んでいるのに、空き家になった時のことを考えていた。だからというわけではないが、どうもあまり好きではない。簡単に言えば、気が合わないオーラが出ているのだ。しかし、本当に葬儀の時にしか会わないので幸いだ。 「いやぁ、健太郎さん。どこにいたんですか」 俊哉は、あまり好きではない健太郎だが、これで清子や小百合の矛先がこっちに向かなくなるのではないかと、時の氏神のように歓迎した。 「葬式の後、農協の用がありましてね。失礼していました」 健太郎がどかりと座る。地響きと言えば大げさだが、それでもそんな音が聞こえた気がするほどだ。 「お忙しいですか」 月並みなことを聞く。 「兄さんみたいに偉くはないですからね。農協でローンの相談をほそぼそと受けているだけでね」 巨体を揺らして話す。髪の毛はまだふさふさとあり、太っているだけに顔の色つやはいい。 「あのこと、話したか」健太郎が清子に話す。 「まだよ。あんたから話してよ」 清子が、怒ったような顔をしている。何を言いたいのだろうか。 「いいですよ。この際だから、なんでも聞いておきます」 俊哉はにこやかに言う。 「じゃあ兄さん、遠慮なしに単刀直入に言いますね」 健太郎が巨体を近づけて来る。潰されるのではないかと恐怖を感じ、わずかに体を反らし気味にする。 「この家や、少しばかりの田畑なんですけどね、あと、農協などにいくらかの貯金、これらをどうしますか? 相続人は清子と兄さんだけですから」 やはり金のことか。俊直の葬儀の時から、この家のことを気にしていたが……。俊哉は、天井を見渡す。古い家だ。澄江が元気なうちに建て替えてやればよかったのだが、高い天井には大きな木の梁が渡してある。部屋数は多い。台所、食堂、居間、仏間など、今風に言えば6LDKはある。しかし、東京に住む俊哉にとって価値はない。 「どれくらいあるの?」 一応、俊哉は聞いた。 「ええとですね、この家と、近くに少しばかりの田圃と畑。貯金は、まあ、保険と合わせて二百万円と言ったところですかね。全部、私が農協の方で預かっていましたから」 言葉を濁らせるようにして言う。 「それで?」 俊哉は、健太郎の意図を探るように聞いてみる。 「それでと言われてもですね、ぶっちゃけた話ですが、東京で出世されている兄さんには何も必要がないものばかりだから、相続放棄してもらえないかと……」 曖昧な笑みを浮かべる。 「相続放棄か……」 俊哉は、また天井に視線を向ける。 <続く> 作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)江上剛





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