旧石器ハテナ館が面白い(2)――3000点もの大量の石器が出土した理由とは
遡上するサケの捕獲を目的にした作業場的建物という見方も
①と②は、石器製作の工房とその流通拠点としての説であり意味合いが近い。一方、国の史跡指定の解説を掲載している文化庁のホームページでは、③の説に重きを置き、以下のように記述している。 「(住居状遺構から)多量に出土した黒曜石製石器と本遺跡から150m離れた同時期の地点から発見された9点の黒曜石原石は、信州産が主体であり同地域との強い結びつきがうかがえる。 旧石器時代の人々は遊動生活を送り、落し穴・礫群・石器集中地点を除けば、ほとんど土地に生活痕跡を残さない。このような状況の中、旧石器時代末に当たる本遺跡の遺構は、炉跡、柱穴と思われる穴、外周の円礫群などを持つ日本最古の確実な建物跡である。相模川べりにあるという特色を持ち、その大きさや2基の地床炉をもつなどの特殊性から見て、川を遡上するサケの捕獲を目的に逗留し、解体・加工した作業場的建物と推定することもできる。 (中略)また信州系を主体として箱根系の黒曜石も搬入されており、当時の集団の移動の実態と川べりでの生業・生活の様相を知るなど、旧石器時代から縄文時代の過渡期における歴史的発展の経緯を伺わせる貴重な遺跡である」 ①~③のいずれの要素もあったのではないか。(続く) (文責=育鵬社編集部M)ハッシュタグ
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