旧石器ハテナ館が面白い(2)――3000点もの大量の石器が出土した理由とは

住居状遺構想定復元模型(『館報尖頭器』第9号)

住居状遺構想定復元模型(『館報尖頭器』第9号より)

この田名向原遺跡は、平成11(1999)年に国の史跡指定を受けた後、相模原市が中心となり史跡整備が進められ、旧石器ハテナ館は平成21(2009)年4月にオープンした。  展示室そのものは、216㎡(65坪ほど)と決して広くはないが、充実した展示内容は目を見張るものがある。その詳細は、本連載の5回目で紹介したい。  さて、上の写真は、館内に展示されている「住居状遺構想定復元模型」である。  この住居状遺構は、前述の通り12か所の柱穴と2基の炉跡、また直径が10mもあり、移動用の簡易テントとしては本格的すぎる。また、この遺構からは、黒曜石でつくられた尖頭器(せんとうき)など、約3000点もの大量の石器が出土している。 2万年前の後期旧石器時代に、この建物は一体、何の目的で作られたのか。  旧石器ハテナ館が発行している『館報尖頭器』の第13号(平成23年12月1日発行)によれば、3つの可能性が考えられるという。  ①石器製作の工房  ②尖頭器を流通させるための拠点  ③魚捕りのための共同作業場(漁労具の手入れ?)  ①は、石器と石器を作る時に生じた微細な剥片(はくへん)が大量に出土したことから導かれた説。  ②は、多方面の地域から黒曜石が持ち込まれ、また発掘された石器の内、尖頭器が195点と多いいことから推測された説。  ③は、この住居状遺構が相模川近くに構築されたことに着目し、尖頭器が小ぶりで使用痕や先端部の欠損が多いことから推察した説。

遡上するサケの捕獲を目的にした作業場的建物という見方も

 ①と②は、石器製作の工房とその流通拠点としての説であり意味合いが近い。一方、国の史跡指定の解説を掲載している文化庁のホームページでは、③の説に重きを置き、以下のように記述している。 「(住居状遺構から)多量に出土した黒曜石製石器と本遺跡から150m離れた同時期の地点から発見された9点の黒曜石原石は、信州産が主体であり同地域との強い結びつきがうかがえる。  旧石器時代の人々は遊動生活を送り、落し穴・礫群・石器集中地点を除けば、ほとんど土地に生活痕跡を残さない。このような状況の中、旧石器時代末に当たる本遺跡の遺構は、炉跡、柱穴と思われる穴、外周の円礫群などを持つ日本最古の確実な建物跡である。相模川べりにあるという特色を持ち、その大きさや2基の地床炉をもつなどの特殊性から見て、川を遡上するサケの捕獲を目的に逗留し、解体・加工した作業場的建物と推定することもできる。 (中略)また信州系を主体として箱根系の黒曜石も搬入されており、当時の集団の移動の実態と川べりでの生業・生活の様相を知るなど、旧石器時代から縄文時代の過渡期における歴史的発展の経緯を伺わせる貴重な遺跡である」  ①~③のいずれの要素もあったのではないか。(続く) (文責=育鵬社編集部M)
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