旧石器ハテナ館が面白い(3)――176km離れた長野県麦草峠の黒曜石がなぜ?

住居状遺構から出土した尖頭器(『館報尖頭器』第14号より)

住居状遺構から出土した尖頭器(『館報尖頭器』第14号より)

 田名向原遺跡の住居状遺構からは、193点の槍先型(やりさきがた)尖頭器が出土し、その内、171点が黒曜石で作られている(上の写真はその一つ)。  黒曜石は、火山活動により地上に噴出したマグマが急冷してできたもので、天然ガラスとも呼ばれる。加工しやすく、割れ口が鋭く、矢じりやナイフなどの石器の素材としては最適であるため、日本列島の先史時代の各地の遺跡から数限りなく発見されている。  一方で日本列島の黒曜石の原産地は限られており、この住居状遺跡から出土した黒曜石製の尖頭器171点の原産地は、以下であることが分かっている。 麦草峠(むぎくさとうげ・長野)=105点 柏峠(かしわとうげ・伊豆)=23点 畑宿(はたじゅく・箱根)=20点 和田峠(わだとうげ・長野)=7点 星が塔(ほしがとう・長野)=5点 高原山(たかはらやま・栃木)=4点 鍛冶屋(かじや・箱根)=2点 不明=5点 計=171点

蛍光X線分析で原産地が分かる

 ここでハテナが2つある。一つは、なぜ黒曜石の産地を推定・特定できるのかという疑問である。  答えは、「蛍光X線分析」という化学的方法を用いて判定する。同じ黒曜石でも、成分が産地ごとに異なり、黒曜石にX線を当てると元素ごとに違うX線の波長があらわれる。原産地ごとの元素組成のデータベースがあり、それと比較することにより産地が推定・特定できるという方法だ。ただし、試料が微量であったり、表面が風化していると正しい測定ができないという。上記の原産地は、この蛍光X線分析によって判明した。  次のハテナは、長野県八ヶ岳の麦草峠など、はるか遠方の地の黒曜石がどのようにこの地に運ばれてきたのかという疑問である。  仮に現代において、神奈川県相模原市の旧石器ハテナ館から麦草峠の黒曜石を、高速道路を用いて車で最速で取りに行くとすると、次のようなルートとなる。  相模原相川ICから圏央道に入り、八王子ICから中央自動車道に入る。長野県の長坂ICで降り、一般道を経由する総距離約176kmである。所要時間は3時間30分前後か。  成人男子の歩くスピードは、平坦な場所で時速4㎞と言われている。1日8時間歩くとすると32㎞となり、歩きで麦草峠に行くとなると、176kmを32kmで割り5.5日、つまり6日間ほどかかる。  しかし、旧石器時代に道はあったのだろうか? 方角をどのようにして知ったのだろうか? 黒曜石を入手する時に、その地にいる人々と争いはなかったのか? 物々交換していたのか? その際に言葉は交わしていたのか? 道中の食糧はどうやって入手していたのか? そして何よりも、麦草峠に黒曜石があるという情報をどうやって知ったのか? など疑問は尽きない。  逆に、長野県の麦草峠の旧石器人の立場から考えた方が理解しやすいかもしれない。黒曜石が石器として便利であることを知っていた地域の人々は、黒曜石の原石を食糧などと物々交換するために、各地に運んでいたのではないか。途中に中継拠点もあったかもしれない。  田名向原遺跡の南西200mほど離れた所から、長野県星が塔産出の黒曜石の原石9個(総重量4029g)が出土している。星が塔も180kmほど離れている。  このように考えると、この住居状遺構はこの連載2回目で紹介した①石器製作の工房、あるいは、②尖頭器を流通させるための拠点との考え方も成立する。(続く) (文責=育鵬社編集部M)
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