世界文化遺産から読み解く世界史【第34回:イギリスの世界進出――ウェストミンスター宮殿】
議会制民主主義の生みの親ウェストミンスター宮殿
イギリスはやがて、東インド会社をつくり、産業革命を行って、アジアをはじめ世界に進出していくのですが、その牽引役を果たしたのがロンドンという都市でした。テムズ川の河畔の町ロンドンが、やがて世界の中心として繁栄する時代を迎えることになるのです。 ロンドンの世界文化遺産には、ウェストミンスター宮殿やロンドン塔があります。 ウェストミンスター宮殿やセント・マーガレット聖堂は、17世紀になって重要な役割を演じ始めます。ウェストミンスター宮殿はテムズ川の河畔に建つ壮麗なイギリスの国会議事堂です。1520年にヘンリー8世がホワイトホールに王宮を移すまでは居城として使用されていました。 しかし、1642年に、スコットランド反乱の鎮圧をめぐって議会と対立したチャールズ1世が、王党派の兵を率いて会議場に乱入したことがピューリタン革命を引き起こす発端となりました。 このウェストミンスター宮殿が議会制民主主義を生んだといわれていて、1834年のロンドン大火で焼失するまで、その役割を演じていました。高さ96メートルの時計塔は「ビッグ・ベン」の愛称で親しまれています。牢獄として使われてきたロンドン塔
ロンドンの中心にあるロンドン塔は、イングランドを征服したノルマン人ウィリアム1世によって建てられた居城がその始まりです。創建当初は木造だった建物は、ウィリアム2世によって石造りに建て替えられ、ホワイトタワーができたのは1097年のことでした。以後、歴代の国王によって増改築が行われ、現在のような姿になったのは13世紀の後半のことでした。 ここは、15世紀の後半からは、主に牢獄として使われるようになり、政争に巻き込まれた王族やその側近などが幽閉・処刑されてきました。1568年には、スコットランドの女王でイングランドの王位継承者でもあったメアリがイングランドに亡命してきました。エリザベス1世は政敵であったメアリをこのロンドン塔に19年間幽閉した後、処刑しました。ロンドン塔はイギリス王室の権力争いを象徴する建物といえるのです。現在は博物館として一般に公開されています。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。
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