平成ギャルがトレンドになっている昨今。見た目だけではなく精神性にも注目が集まり、ポジティブに自分らしさを貫くマインドが支持されているという。そうした再ブームで気になるのは、かつて渋谷センター街を賑わせていたギャルたちの今だ。10代・20代を謳歌していた彼女たちは、年齢を重ねてどのような女性になっているのだろう。
モデル/DJの山城奈々さん(36歳)
今回登場するのは、モデル/DJの山城奈々さん(36歳)。中学時代にはファッション誌の専属モデル、高校時代にはギャルサー(ギャルサークル)の2代目代表としてメディアに出演していた。一時期はタレントとして活動していたが、19歳で芸能界を引退。しばらく表舞台から姿を消していた。
それから15年以上が経ち、山城さんは再びモデル業に復帰。昨今では有名ブランドのファッションショーへの出演、グラフィックデザイナー、DJなど、幅広い分野で活動している。とはいえ、療養のためにしばらく休業していた時期も。実はがんを患っていたという。山城さんはがんをどのように乗り越えてきたのだろうか……。
エリート一家で育てられた少女をギャルに変えた“2つの出会い”
センター街の前で待ち合わせしていると、オールブラックのモード系ファッションに身を包んだ山城さんが現れた。スラッとした高身長の凛とした出で立ちは、混雑した渋谷の街でも目立つほどにオーラがある。
中学生の頃からモデルとして活動してきたという。そんな彼女もまた現在の風貌からは想像できないが、かつては渋谷109に通う“ガングロギャル”だった。
ガングロギャルだった16歳の山城さん(提供写真)
だが、はじめから“ギャルマインド”を持っているタイプではなかったそうだ。父は芸術家、母は医療系で働くエリート一家で厳しく育てられ、学校ではなかなかクラスに馴染めなかった。どこにいても息苦しく、ひたすら漫画ばかり描いていたという。
「本質は陰なタイプなんです。コミュニケーションがとれなくていじめられてました。男子にもモテてませんでしたね。学校にも家にも居場所がないから、鬱々としていた小学生時代を過ごしてて……死にたいなってぐらい」
そんな山城さんを変えたのは、のちに親友となる同級生との出会いだった。
「ある日、声をかけてくれた子がいたんです。『いつも1人じゃん!友だちがいないならうちのグループくれば?』って」
この日からふたりは急速に仲良くなった。どうやら親友はヤンキー家族の元で育ってきたという。エリート一家で育てられてきた山城さんとは性格も育ってきた環境も正反対だった。家族に従ってきた山城さんにとって、自分の好きなように生きる親友の姿はまぶしく見えた。
そんな親友に刺激を受け、性格が少しずつ明るくなっていった頃。ギャルを目指す決定打となる出会いがあった。
「『MAGICAL EXPRESS (海の見える街)』という曲を聴いたんです。もう……衝撃を受けました。それからトランスミュージックにハマって。どんな人がこういう音楽を聞いてるんだろうと調べてみたら“ギャル”なんですよね。それで私もこういう人たちになるって決めて」
10歳以上離れた姉ふたりの影響でギャルにはもともと関心はあったが、親友とトランスによって、ついにそのスイッチが入った。そしてこの二つの出会いが、現在に至るまでの彼女の人生にも影響を与えていくことになる。
ギャルに厳しい世間の目…苦情の手紙や唾を吐かれたことも
自己主張は悪いことじゃない、好きなファッションをしたい、もっと自由に生きたい……そう考えるようになった山城さんは、地元・埼玉から渋谷へと通うようになりどんどん派手になっていった。しかし、そんな彼女に厳格な両親が黙っているわけがない。
「親とは言い合いばっかりでしたよ。特に父は私の変化にかなり動揺してました。でも喧嘩しても意味がないので。冷静になって『何が嫌なのか説明してください』って返してました」
ギャルサー時代の山城さん(提供写真)
“ギャル=不良”として認知されていた時代。今となっては“個性”として好意的に受け止めてもらえるギャルカルチャーだが、当時は冷ややかな目で見る人も多かった。親だけではなく、近所の大人も、学校の先生も、山城さんには厳しかったという。
「今はギャルが肯定的に見られてますけど、それってすごいことですよ!昔はセンター街を歩いてたら唾とか吐かれてましたし、家のポストに『なんで歩いてるんですか?』って書かれた手紙が入っていたこともありました。あの頃はクラブなんて行ったら不良だと言われていましたから」
それでも自分の軸を曲げることはなかった。もう誰にも縛られない、私は好きなように生きる、山城さんの意志は強かった。
そんななか、109の下でスカウトされてモデルとしてデビューを果たす。すると、周囲の対応は変わったという。
「モデルとしてお金を稼ぐようになると誰も何も言わなくなったんです。それで幼心に、大人は仕事で成功すれば何も言わなくなるんだって捻くれてしまって(笑)。自分の道を突き進むためには自分で稼げばいいんだと思いました」
中学2年生にして自分で稼ぐことの意義を知った山城さんは、モデル業に勤しんだ。
1994年生まれ。リアルサウンド編集部に所属後、現在はフリーライターに。『リアルサウンド』『日刊サイゾー』などで執筆。またnoteでは、クォーターライフクライシスの渦中にいる20代の声を集めたインタビューサイト『
小さな生活の声』を運営している。
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