「偶然」ほど面白きことはなし[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第53話)]

生還の記

「闘病の教科書とリハビリのガイド」

偶然を偶然としない


 ボクが好きな言葉に「セレンディピティ」という言葉がある。

「偶然から幸運を招き寄せる力」などと解釈されているが、ボクには「偶然」に意味を見つけたがる癖がある。

 そして、その意味するところを自分にプラスになるように都合よく解釈する。それがポジティブな生き方につながるのだと思い込んでいる。

 一期一会の出会いでも、放っておかない。なぜ、ボクはいまこの人と会ったんだろうかと考える。

 普段、深く考えていないから、たまさか偶然の出来事に出くわして、その埋め合わせに脳が働くのかもしれない。

三木卓さんとの偶然


 闘病に当って、いろんな人の闘病記を読んだ。その中の一つに芥川賞作家三木卓さんの『生還の記 心筋梗塞に襲われて』(河出書房新社)というものがあった。

 三木さんは電車の中で、脇腹に痛みを感じ、肩や腕、胸にそれが広がっていく事態に直面して、自ら心筋梗塞を疑った。痛みをこらえながら病院に駆け込んだ。

 不運といっていいのか、幸運といっていいのか。自己判断は当っており、医師は心筋梗塞と診断した。

 なにはともあれ、発作勃発の前に病院にたどり着くことができた。ディテールは異なるがボクの経過と類似する点もある。

 結局、心臓のバイパス手術を受け、一命をとりとめるが、長い闘病生活を送ることになる。

『生還の記』


 三木さんの闘病記は専門的な分野にも踏み込んでおり、視野も広くて、ボクにしてみれば闘病の教科書的な存在である。哲学的な雰囲気もある。

 その闘病記に気になる一節があった。「病気を期に仕事場にしていた横須賀芦名のマンションを引き払う」というのである。

 芦名のマンションといえば、ボクが仕事場にしているのも芦名の、とあるマンションである。「おやっ」と思って読み進んでいくと、なんとそのマンションはボクが週末に利用しているマンションだった。

 偶然といえば偶然だが、さっそくボクは管理人に、このマンションに三木さんという人が住んでいたか、尋ねた。

『生還の記』にある和室やキッチンなど部屋の描写から判断して、管理人はボクと同じフロアの隣室ではないかと当りを付けたが、「その持ち主は三木さんという人ではなく、冨田さんという人だった」と言った。

 ボクはがっかりしたが、突然思い出した。「三木さんの本名は冨田三樹さんだ」。不動産だから本名で契約するのは当然だろう。それにしても偶然の一致にびっくりした。

 その後、ボクはこのことを友人の田沼敦子さん(写真家田沼武能氏夫人)に話した。なんと田沼さんは三木さんのことをよくご存知で、お友達で、出版社「かまくら春秋」を経営する伊藤玄二郎さんに、話をつなげてくれた。

 伊藤さんの名は『生還の記』によく登場する。ボクも田沼さんに紹介されて伊藤さんにはお会いしたことがある。

 伊藤さんは河出書房の編集者のころ三木さんとご一緒だった。かまくら春秋は三木さん達の編集になる「星座」という言葉に関する季刊誌を発行している。

 偶然はそれだけではない。三木さんは幼少時代を満州は大連で過ごした。三木さんはボクより5つ年長だが、ボクも6歳までは大連で過ごした。

 戦後三木さんは静岡の御前崎に引き揚げられ、静岡高校を卒業する。この辺りはボクがフジテレビの水野成夫初代社長の伝記を書いたときによく訪ねた。水野社長は御前崎出身で、静岡高校のOBである。

『海辺で』はリハビリのガイド


 俄然三木さんが身近な存在になり、三木さんの刊行物を渉猟した。中でも『海辺で』は我がリハビリの舞台の森羅万象を克明に描写している。

 芦名海岸から佐島の天神島を往復するのが週末のボクの定番コースで、これを一回こなすと、リハビリのノルマ一日一万歩を達成する。

 その間の神社・寺、花鳥風月、商店の風景など、数々の文学賞に輝く文筆家らしく、精密に活写する。

 マンションを中心に、ほぼ1.5キロ以内の小宇宙だが、三木さんの手にかかると輝きを増す。リハビリの前後でそれを確認するのがボクの大いなる楽しみでもある。こんな楽しいリハビリはない。

「偶然」を予定調和的に「必然」とすることは科学的ではないが、「偶然」を偶然と放置しないで、そこに意味を見つけ、生活の糧とすることは人生を豊かにする。

協力:東京慈恵会医科大学附属病院

【境政郎(さかい・まさお)】
1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。





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