生きがい探し[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第54話)]

井上邸

「井上成美海軍大将の住んだ家。いまは訪れる人もいない」

大風呂敷は止めよう

 年齢を重ね、大病を経験して、ようやく自分の可能性の限界について考えるようになった。 「なにをいまさら」と言われるのがオチだとわかっていても、いままでそんな心境になったことはなかった。  覚めた心境になった大きな理由は残された時間が無限ではなくなったことを悟った点にある。何しろ、あと1年ちょっとで日本人男性の平均寿命に届く。  そこで考えたことといえば、大風呂敷を止めること。  具体的に自分に何が出来るか、周囲は自分になにを期待しているのか。そういう事に思いを致すことによって少しでも前向きに生きてみようとの考えだ。  周囲の願いは「何も期待はしていない。せめて迷惑をかけないでくれ」というだけかもしれないが、それでは少し寂しすぎる。  そこで得意の我田引水的な解釈で、三つの結論を出した。よく言えばいずれも具体的な生きがい論である。

三つの生きがい

 一つは人生上どっぷりつかりこんだ「テレビ」というものの歩み、特にフジテレビネットワークの足跡をまとめようということ。  これはフジテレビの友人や後輩たちが促してくれた。日本のテレビは65年の歴史を持っているが、後発のフジテレビの系列局は来年50周年迎えるところが多い。  テレビに関しての論術は、番組に関してはたくさんあるが、ネットワークシステムや経営に関するものは極めて少ない。  21世紀に入ってから、テレビはネットに追い上げられ、苦戦を強いられている。歴史を知ることが将来を考えるよすがになりはしないか。  幸いフジネットワークの皆さんも、ボクの勤める研究所の仲間も協力的だ。自分の能力も考えずに安請け合いする癖がでたこともある。  二つ目は三浦半島の魅力を発信する仕事をしてみたいこと。  ボクが育った三浦半島は東京や横浜という大都会に近いわりに、自然環境や歴史文化遺産に恵まれている。  鎌倉は中世日本の中心地だったし、横須賀は近代日本の産業の発祥地でもあり、国防の要衝であり続けた。そんな歴史を背景に持ちながら、三浦半島は美味しい魚菜の供給地でもある。  また文学の舞台になっているところも少なくない。気候温暖・風光明媚・食材豊富で、「行ってよし、食べてよし、住んでよし」の3点が揃っているのが三浦半島である。オールド湘南ボーイの自慢だ。  三つ目は、最後の海軍大将井上成美の事績を後世に伝えたいこと。  井上成美大将は軍国主義華やかなりしころ、米内光政、山本五十六と並んで海軍のリベラルトリオといわれた。  トリオは日本の実力を客観的に把握し、日米開戦に反対するも、東条英機ら陸軍勢の跋扈にいかんともしがたく、日本はアメリカと干戈を交えた。  山本は早くして戦死するが、米内、井上は「未来ある敗戦」のために尽力する。原子爆弾を2発も落とされ、日本はみじめな敗戦を迎えるが、何とか立ち直ったのは大破滅を救った井上らの終戦工作にある。  その井上は戦後、横須賀の長井というところに住んで、近所の子供らに英会話などを教えた。  井上没後、その屋敷は東日本大震災まで、井上成美記念館となっていたが、今はその面影もない。これを何とか記念館として再興できないかというのがボクの希望である。  海軍戦史研究家の工藤美知尋さんによる、新史料に基づいた『井上成美伝』が潮書房光人新社から上梓の運びにあり、来月には書店に並ぶという。  工藤さんの着眼点は「井上は日本海軍の理性」という点にある。こういう形で井上大将が再認識されることは喜ばしい限りだが、井上大将の事績をどう後世に伝えるか。

歴史を大切にしない民族は亡びる

昨秋、子供(高1)に『君たちはどう生きるか』を買ってやった。もちろん漫画版だが、ボクは吉野源三郎の原版(岩波文庫)を取り寄せて読んだ。 「英雄とか偉人とか言われる人々の中で、本当に尊敬できるのは人類の進歩に役立った人だけだ」とあった。良い本が読まれていると思う。  歴史を大切にしない民族や国は亡びると昔から言われてきた。馬齢を重ねてきたが、古いなりに古いことには親しみを覚える。  吉野著にあるように、抽象的な生き方を模索する年齢ではないが、今は極めて具体的な生きがい論を考えている。 「青春とは人生のある時期を言うのではなく、心の様相を言う」というウルマンの言葉が老害のはびこる原因という説もあるが、年を経ないと到達できない世界もある。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。
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