生きがいも死にがいも[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第55話最終回)]

儀武先生

儀武路雄先生の有り難き言葉「心臓という臓器は治すと意外に長持ちします」

「死にがい」を考える

 この年になると、オフィスによく知人の訃報が届く。押しなべていうと、「良い人は早く亡くなる」ということである。  ボクにもいつお迎えがあってもおかしくないが、まだやっておきたいことがあるとの思いで前回生きがい論を書いた。  ベストセラー『君たちはどう生きるか』は若い人に生きがいのある生き方を、日常茶飯のできごとを通して教えている。しかしボクらの年代になると、生きがいも死にがいも不即不離のような感じもする。  死にがいを論じた中で、評論家草柳大蔵は「千利久が秀吉の命のまま切腹したのは――自分の『生命』を後世に伝えるために『死』と対面したのではないか」(『あなたの「死にがい」は何ですか?』福武文庫)と言っている。  たしかに茶道の奥の深さは利休の死によって極まった感がある。  また、最近では西部邁さんの「自裁死」が話題になったが、西部思想は「自裁死」によって新たな生命が吹き込まれた感がある。  ボクには利休や西部さんのような高尚なものは皆無だが、「死」によって医学の進歩に役立ちたいという思いがないことはない。

我が遺体を剖検に

 それは我が遺体を剖検に託すことである。  剖検とは死後の病理解剖をいう。目的は心臓バイパス手術に使った血管の開存率(詰まりにくさ)を実証してもらいたい点にある。  ボクは狭窄した心臓冠動脈にバイパスを作るために、内胸動脈と脚の大伏在静脈を使った。  ところがその開存率が動脈に比べて静脈の方が半分程度なのだという。つまり静脈の方が詰まりやすいということだ。それは動脈と静脈の構造の違いからくるらしい。  理論はともかく、実際はどうなのか。ボクの体で実証してもらいたいと思っているのである。  実証検分の精度を上げるために、毎日の血圧や体重、服薬、病状もきちんと記録に残している。  そんな考えに立ってあるとき、執刀医の儀武路雄先生(慈恵医大病院心臓外科診療医長)に相談した。  儀武先生曰く「医学にとってありがたいことです。ただし、血流がすっかり止まってしまったら判断しにくい面もあります。もちろんそれでも、参考になることはたくさんあります」  後で調べてみると、剖検は口でいうほど、簡単ではないらしい。  剖検で有名になったのは九州大学医学部と協力した福岡県久山町だが、久山町では脳疾患患者の剖検が中心だった。  町民の多くが協力し、正確な死因を知るという点で、剖検以上に正確な診断方法はないと言われた。もちろん、剖検結果はその後の医療にも大いに役立った。  ただ、きちんと剖検をするためには、死亡が確認された後、分刻みの対応をしなければならない。変な表現だが、新鮮な遺体のうちに解剖するところに意味がある。  遺体だから、葬儀の時刻までには家族のもとに戻さなければならない。そのため、お医者さんが棺桶担ぎまでしたことがあったという(「剖検率100%の町・九州大学久山町研究室との40年」祢津加奈子)。

生きがいと死にがいが一つに

 ボクの場合だって儀武先生の言われるように、息を引き取って何時間も経ち、血流がなくなってしまったあとでは剖検の意味も薄れる。となると死に場所の問題だ。それをどうするか。  いつもここまで考えると思考停止に陥る。ただ、もし条件さえそろえば、ボクの死にがいが生かされる可能性もある。  ボクの生きがいと死にがいは一如になる。何と理想的な人生というべきか。  一年間、拙文にお付き合いいただきありがとうございました。  取材でお世話になった慈恵医大病院関係者の皆様、サイトを担当していただいた扶桑社・育鵬社の槇保則さんに心から御礼申し上げます。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。
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