5分でわかる! ウクライナ正教会独立騒動の真相

<文/グレンコ・アンドリー『ウクライナ人だから気づいた日本の危機』連載第9回>

「ウクライナの宗教はロシア正教ですか?」

ウクライナ正教会・キエフ総主教庁の紋章

 私はたまに日本人に聞かれることがある。「ウクライナの宗教はロシア正教ですか」と。この質問の仕方は、日本においては正教会に関する情報があまり広まっていないことを意味している。  そもそも「ロシア正教」という名前の宗教はない。ロシア正教というのは、ロシアにおける正教会のことである。正教会は、カトリックやプロテスタントに並ぶキリスト教の一大宗派だ。  正教会が主流であるすべての国には、例えばルーマニア正教、セルビア正教、ジョージア正教など、それぞれの正教会がある。ロシア正教はその一つなのだ。  だから先の質問は、「ウクライナの宗教は正教会ですか」というのが正しい。たしかに、ウクライナの宗教は正教会である。しかし、その正教会の現地組織の事情がかなり複雑である。2018年にウクライナの正教会において、非常に大きな出来事が起きた。それを説明することは、ウクライナ情勢への理解にもつながると思われるので、今回は「ウクライナ正教会事情」をお伝えする。

ウクライナ正教会前史

 まずは簡単に背景を説明しよう。キリスト教は、1054年に正教会(中心はビザンツ帝国のコンスタンディヌーポリ)とカトリック(中心はローマ)に別れた。 ウクライナの前身に当たるルーシは、ビザンツ帝国と関係が深かった。そのため、ルーシの国教は正教会となった。  正教会の仕組みは、最上位がコンスタンディヌーポリ総主教庁で、そこが直接管理している地域(直轄地)もあれば、その地域にある教会に自治権を与えて、独立教会を誕生させている地域もある。もちろん、独立していても、母なる教会はコンスタンディヌーポリ総主教庁である。  ルーシは1240年にモンゴル帝国に滅ぼされてしまい、ルーシにあった正教会の組織は、その後、コンスタンディヌーポリ総主教庁の直轄となった。 その後、1480年にモスクワ大公国が、モンゴル帝国から独立した。コンスタンディヌーポリ総主教庁は、1589年にロシアの正教会に自治権を与えて、ロシア正教会は独立教会となった。  十七世紀の半ばに、それまでにポーランドに支配されていたウクライナは、ロシア王国に制圧されて、その領土になった。軍事的に強いロシアは、国家のバックを持っていないコンスタンディヌーポリ総主教庁に、ウクライナにおける正教会の組織をコンスタンディヌーポリ総主教庁直轄からモスクワ総主教庁の管轄に委譲するように迫ったのである。  世俗の世界において、実力を持っていないコンスタンディヌーポリ総主教庁は、これを承認せざるを得なかった。1686年にウクライナにおける正教会はロシア正教会の一部となった。そして、1991年のソ連崩壊まで、ウクライナはロシア正教会の管轄領であった。

1990年、「ウクライナ正教会キエフ総主教庁」を創立

 ウクライナの独立後、国内でウクライナにも自治権のある教会が必要だろうという意見が広がった。しかし、モスクワ総主教庁は当然それに猛反発し、国家が独立しても、ウクライナはモスクワ総主教庁の管轄領であると強く主張した。  そのため、一部のウクライナ人聖職者はロシア正教会から離脱して、「ウクライナ正教会キエフ総主教庁」を創立した。  当然、モスクワ総主教庁はそれを認めず、キエフ総主教庁を「分裂主義者集団」と認定して、正教として認めなかった。  モスクワ総主教庁からの破門に対して、キエフ総主教庁は直接、コンスタンディヌーポリ総主教庁に、ウクライナ正教会に自治権を与えるようにお願いした。 しかし、コンスタンディヌーポリ総主教庁は、モスクワ総主教庁との対立を避けるために、そのお願いを拒否した。  その結果、ウクライナにおいて、独立してから27年にわたって、二つの正教会が存在することになった。世界のすべての正教会に認められた「ロシア正教会ウクライナ支部(別名:ウクライナ正教会モスクワ総主教庁系)」と、どこの正教会にも認められなかった「ウクライナ正教会キエフ総主教庁」である。  正教会の伝統では、たくさんの正教会の信者のいる独立国家は、独立教会を持つことができる。先述したもの以外に、ブルガリア正教会、チェコ・スロバキア正教会、ポーランド正教会など、現在、全部で15の独立正教会が存在する。  だから、独立したウクライナにも、独立正教会があって当然なのである。  しかし、ロシア正教会の猛反発のため、これがずっと適わなかった。正式に認められていないウクライナ正教会キエフ総主教庁は、その後何度もコンスタンディヌーポリ総主教庁に自治権を認めるようにお願いしていたが、毎回拒否された。  宗教者だけではなく、ウクライナの政治家からもお願いしていた。ウクライナの第三大統領、ヴィクトル・ユシチェンコは、2008年にコンスタンディヌーポリ総主教のヴァルソロメオス1世をウクライナに招待して、その際改めて自治権をお願いした。 しかしヴァルソロメオス総主教は検討すると言いながら、結局、その時は決断されなかった。  ロシア正教会によるウクライナへの異様なこだわりは、明らかに宗教的なものではなく、政治的なものであった。それでも、すべての正教会の中で、ロシア正教会は信者の数や財力の面で世界一だったので、格上のはずのコンスタンディヌーポリ総主教庁でも、ロシア正教会との対立を避けようとしたのだった。

2018年、ウクライナ正教会の自治権が決定

 以上のような状況が、2018年に変わった。2018年4月19日、ウクライナ国会は大統領の正式な呼び掛けを承認し、大統領がコンスタンディヌーポリ総主教庁に、ウクライナ正教会に自治権を与えるように呼び掛けを送ったのだ。  これに対して、コンスタンディヌーポリ総主教庁は今までと違って即効拒否ではなく、検討すると返事した。  その後、コンスタンディヌーポリ総主教庁の使者は、何度もウクライナを訪れて、さまざまな準備や調査を行っていた。  一方、モスクワ総主教庁はその間、全力を挙げて、ウクライナ正教会への自治権を阻止しようとした。8月31日、モスクワ総主教のキリル1世は、自らコンスタンディヌーポリ総主教庁に赴いて、ヴァルソロメオス1世に、ウクライナ正教会に自治権を与えてはいけないと直に訴えた。  しかし、2018年10月11日、コンスタンディヌーポリ総主教庁の教会会議において、ウクライナ正教会への自治権が決定された。  同時に、キエフ府主教区をモスクワ総主教庁に委ねる、1686年の決定は取り消された。また、1990年代にキエフ総主教庁を創立した聖職者達への、モスクワ総主教庁からの破門も取り消され、彼らは再び正式な正教会の聖職者として認められるようになった。  それに対して、モスクワ総主教庁は狂ったように騒ぎ、これからウクライナで宗教戦争が起きると主張した。だが、宗教戦争が起きる唯一の可能性とは、その戦争をロシアが起こす場合のみであるので、これは事実上、戦争をするぞという脅しである。  また、モスクワ総主教庁は、宗教儀式においてヴァルソロメオス1世の名前を讃えないことを決めた。正教会において、全教会の母なる教会であるコンスタンディヌーポリ総主教庁の総主教の名前を讃えないことは極めて無礼な行為である。  現時点で、独立したウクライナ正教会はまだ正式に成立していないのだが、これは既に決定事項なので、今の流れから行けば、独立教会の成立は時間の問題であろう。  しかし、だからと言って、ウクライナでは信仰の自由が保証されているので、ウクライナからロシア正教会の組織が消えるわけではない。ロシア正教会ウクライナ支部は存在し続けるであろう。だが、正教会全体の立場から、新たに生まれる「独立ウクライナ正教会」こそ、正式な教会になる。

宗教面でのロシア支配からの脱却の意味

 それにしても、なぜ、多くのウクライナ人の悲願であった独立教会のお願いを、長年無視し続けたコンスタンディヌーポリ総主教庁は、態度を変えたのか。  それは意外と単純なことで、ロシア正教会の傲慢な振る舞いに飽きたからであろう。 ウクライナにおけるロシア正教会は、政治などの内政問題に干渉して、信徒に特定の政治思想を植え付けた。さらに、ロシアとの戦争で戦死した勇敢なウクライナ兵士の葬式を、モスクワ総主教庁系の教会が拒否したというとんでもない事例まであった。これは教会としては、ありえない振る舞いなのだ。  また、質素な生き方が美徳とされている正教会なのだが、ロシア正教会の聖職者達は決まって高級車に乗って、豪邸に住んでいる。総主教のキリル1世は、ヨットとプライベートビーチまで持っている。  それにも関わらず、彼らはモスクワこそが世界の正教会の中心地であると、常に言い張っている。世俗的な政治と完全に屈託して、傲慢に振舞っているロシア正教会に対する、コンスタンディヌーポリ総主教庁の不満はついに限界に達して、総主教はこれ以上モスクワに配慮する必要はないと判断されたのであろう。  繰り返しになるが、正教会の伝統からすれば、ウクライナは独立教会を成立する権利を国家が独立した時点で持ったのだ。その当然の権利を、コンスタンディヌーポリ総主教庁がモスクワ総主教庁へ配慮することによって拒否してきただけだ。  だから今回の決定は異例なことではなく、当然の判断だ。今まで27年間、それを拒否したことが異例なことであり、正教会の伝統から外れていた。だから今の状況は、正常に戻ったというだけのことである。  しかし、この出来事はウクライナにとって大きな精神的な意味を持っている。現在、ウクライナは旧支配者のロシアと独立戦争を戦っている。同時に、さまざまな面において、旧支配者とのつながりを絶とうとしている。政治的な面や制度的な面も大事だが、やはり文化的な分離も重要だ。ウクライナ独自の歴史認識や独自の言論空間が成立しつつある。ロシアのテレビチャンネルが禁止され、ロシア製の映画やドラマの放送が激減している。  宗教については、ロシアとのつながりが強固で、なかなか断ち切れなかった。だが今回、ウクライナの独立正教会が成立することによって、ロシアとの宗教的な関係もやっと薄れるのだ、それは脱植民地化という長いプロセスにおいて、非常に重要な一歩となるであろう。 【グレンコ・アンドリー】 1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
1987年ウクライナ・キエフ生まれ。2010~11年、早稲田大学へ語学留学で初来日。2013年より京都大学へ留学、修士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程で本居宣長について研究中。京都在住。2016年、アパ日本再興財団主催第9回「真の近現代史観」懸賞論文学生部門で「ウクライナ情勢から日本が学ぶべきこと――真の平和を築くために何が重要なのか」で優秀賞受賞。月刊情報誌 『明日への選択 平成30年10月号』(日本政策研究センター)に「日本人に考えてほしいウクライナの悲劇」が掲載。
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