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このままでは日本はウクライナの二の舞になる!ロシアの侵略を招いたウクライナの教訓

ロシアがウクライナのクリミア半島に侵攻、併合した2014年以前、ウクライナは軍縮を繰り返し「武装しなければ戦争にならない」と平和主義のスタンスをとっていたが、侵略者には通用しない机上の空論であることが証明されてしまった。ウクライナを他山の石としたとき、日本がとる道は…。日刊SPA!PLUSより『ウクライナ人だから気づいた 日本の危機』の著者・グレンコ・アンドリー氏による寄稿を掲載する。

「平和ボケ」していたウクライナ国民

ウクライナ ウクライナがソ連から独立した際、強い軍隊を受け継ぎ、核兵器までも保有したにもかかわらず、それらの多くをあっさりと手放してしまったことを前回述べた。そこには、米露の圧力や、ウクライナの財政の問題があったが、軍の腐敗や堕落も甚だしいものがあった。 【前回記事】⇒ウクライナは世界第三位の核兵器保有国の地位をなぜ放棄したのか  では、なぜウクライナの軍隊は腐敗したのであろうか。最も大きな原因は、指導層や国民の多くが軍の重要性を分からなかったということである。  つまり、ウクライナ社会はその時完全に「平和ボケ」してしまったのだ。当時、国民に広まっていた考えは以下のようなものであった。「軍は金がかかるだけ」「これからは平和の時代だ。戦争が起こるはずがない」「そもそも戦う相手がいない」と。  だから、ウクライナ軍がだんだん衰退していくという状態について、ウクライナ国民が声を上げなかった。もし国民が声を上げれば、軍はここまで酷い状態にならなかっただろう。しかし、実際は軍を立て直さなければならないという一部の愛国者の訴えに、ウクライナ社会は耳を傾けようとはしなかった。  陸続きでロシアのような大国があるのに、なぜウクライナ人は平和ボケしてしまったのか、と疑問に思う日本人が多かろう。しかし、ウクライナ人の平和ボケにはちゃんと理由があるのだ。  一つは1990年代の経済危機だ。ハイパーインフレが起き、国民の生活は非常に苦しくなった。明日食べるものに困っていた国民は生活を維持することで精一杯だったので、国防や安全保障などを考える余裕はなかった。  二つ目はソ連の教育の影響だ。その教育では、ソ連を愛し、ソ連を守らなければならない、ソ連に忠誠を尽くし、ソ連に対して愛国心を持たなければならないというように教えられた。そのような教育を受けた人が、ソ連が崩壊した後、忠誠を尽くす対象を失った。だから国を守る意思がなかったのだ(詳細については改めて述べたい)。  しかし、主因はこの二つではない。もう一つの原因こそ最大のものであろう。それが先ほどから述べている、ウクライナの国民が「平和ボケ」していたということである。

「平和ボケ」はどの国家にも起こりうる

 日本人の一定数は、戦後の日本を「平和ボケ」と認識していると思われる。彼らは「平和ボケ」は日本独自の現象だと思っている。しかし、そうではない。平和ボケとはどの国、どの社会にでも起こり得る現象なのである。  現に西ヨーロッパの国々は平和ボケしている。ウクライナも1991年から2014年まで完全に平和ボケをしていた。  平和ボケとは、平和が長く続くと自然に現れてくる現象である。分かりやすい例が自然災害である。自然災害に対する警戒心は、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」がごとく、最後の災害からの年月が経つに連れて、なくなっていくものである。  同じように、最後の戦争から年月が経って記憶が薄れるに連れて、一般国民はだんだん防衛や安全保障について考えなくなり、軍隊のことを金の掛かる過去の産物と思ってくるのだ。  だから、国民が平和ボケをしないように、国家や言論人は常に働きかけをしているのだ。教育やマスコミなど、さまざまな情報発信や啓蒙活動を通して、防衛体制をしっかり整えて、国を守ることは大事だということを国民に教えている。これは言わば、平和ボケを防ぐ「予防接種」のようなものだと考えたらいいかもしれない。  このような国民の平和ボケを防ぐ啓蒙活動を、ウクライナ政府はまったくしなかったのだ。なぜなら、指導層そのものが無能であり、完全に平和ボケしていたからだ。このような状況であったから、ウクライナ国民が平和ボケしてしまったことは、むしろ当然であろう。
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ロシア人を防衛大臣に据えたヤヌコビッチ大統領
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ウクライナ人だから気づいた 日本の危機

沖縄は第二のクリミアになりかねない。「北方領土をどうしたら取り戻せるか」はウクライナに学べ!

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